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ぐずらもずら

・1年前にコロナになった日。あっという間。そのときも、録音してた。未だにできていない。笑ってしまうが、それでいーとも思った。そんな簡単にうみおとせるわけなどないのだから。

 

・スノーボードにはまり、10年ほど、本気で滑ってきたが、ここ数年は、年に1~2回しか滑れていない。それでも、大好きだし、スノーボードに対する想いは変わらない。あれほど気持ちのよいものは、音楽以外にないと思う。そのころつながった仲間とも疎遠になってしまったが、嬉しいことに、なんだりかんだり連絡をくれて、誘われて、引っ張りあげようとしてくれている。こんなにありがたいことはない。久しぶりに会う人でも、密度の濃い時間を過ごしてきた人たちとは、言葉少なくともわかり合える感覚がある。人とのつながりを大切にすること。人間と関わることがときにわずらわしくても、イマココで生きることを選択した以上、中途半端にはできない。気持ちを無駄にはしたくない。

 

・基本の「き」を、叩きつけられた。頭からドリフばりのタライが落ちてきたようだ。笑いたいけど笑えない。またイチから積み直し。落ち込んでる暇などない。何度でもそうだっただろ。苦難の連続、苦しみの連続。そこで逃げなかったから次があったのだ。這いつくばってボロボロでゆけ。それが一番お似合いだ。常に軌道修正、予定変更。計画どおりにいったためしがない。だからおもしろかったのだろう。この40年間は。これからも、そうありたい。

・細野晴臣著「録音術」。4回目読了。1年に1回必ず読み返したくなるが、自分で録音ミックス初めて、あらためて発見することがあった。

 

・細野さん、大瀧さんの音楽に対する考え、ファースト作品の録音の背景などなど。二人の巨匠と比較するのはおこがましいが、無意識的に、自分の音楽感と近い部分があって、救われた気がした。売れる売れない、聞いてほしい、世に広まってほしいとか、そういうものとは無縁に、自分の好きな音楽と、自分が表現したいことを、音に封じ込めるというか、作品でしかできないものを作るということ。リラックスした雰囲気でラフに作りたいということが、宅録や、仲間と作ると言うことにつながっていく。また一つ、おもしろいとおもった。


・仲間とのベース録音。「ナイヤビンギでありポップスでもあるような。ジャンルとかないね、もはや」という言葉。よくわかってらっしゃる。イーと思えるテイクも、同じという。

ヒッピー文化に触れ、ハイファイな都会にも住み、独特な山奥の祭りやその流れをくむムーブメント、田舎においてハイセンスに地方と都市部を結ぶ洗練された者たち、農家、アーティストと散々かかわって一周し、自分はどちら側にも降りきれない中途半端な存在だと自覚している。そんな自分の中途半端さも、音にあらわれる。悪い意味ではなく。なんの、どこの、何者にもなれない、1人の人間の音楽。そういうものに、なれば嬉しい。

・PAN、Eqで、音の定位を決めるということ。前後左右、奥行き。頭で理解しても、思うように表現できない。もどかしい


・ピンポン、コーラス、etc.ディレイ1つとってもいろいろあることを知る


・完全に迷子。


・マスクなし、5類ということになれば、コロナは忘れられるだろう。かみゅのペストのように。何もかも忘れ元に戻るのだろう。だが、その「元に戻る」という言葉自体に違和感がある。三年前は世の中よかったのか?ということ。不景気もなにもかも、すべてコロナのせいにされている。話しをうまく違う方向にもっていかれてる。憲法が置き去りにされ、戦争ができる国になってしまったのを、いったい何人の国民が知っているだろう。大切なことは知らされない。相変わらずの国。


・5拍子にはまる。変拍子がやばい。umiumaを生で見てみたかっな。10年。時間が必要なときもある。