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INDEADRUM

ぐずらもずら

・仙台の子ども病院に通うようになって早6年

 

・いろんなことが思い起こされる

 

・今、自分も含めて、当たり前のように毎日を暮らしていることが奇跡だと、この度に幾度となく思うのだろう

 

・欲望は限りない。本当に必要なものなど一握り。そこにはもしかしたら、音楽も入っていないのかもしれない。

 

・死ぬ前に思うことはどんなことなんだろね

 

・あの日が近づくたびに、当時の記憶がよみがえり、過ぎ去る景色にまどろむ

 

・何を発信しても薄っぺらいような気がして、10年前のことを、今とやかく言える立場ではないし、心境でもない

 

・淡々と日々の生活を深めていく

・1日ずっと晴天。気持ちのよい日だった

 

・書きたいことというか、頭の中に浮かんでは消えるアレコレが多い日だった

 

・用事があって山形へ。道中の景色、遠くに見える雪山の風景が素晴らしく、あらためて山形が好きだと思わされた

 

・と同時に、今までの数々の思い出がヨミガエル。尾花沢によく通っていたこと、NOON、しょーごさん、クールモンキー、花笠高原に滑りにいったこと。山形のいろんな山でのスノーボード。そんなとこから始まって、よいこともわるいことも、当時の情景が断片的に走馬灯のように駆け巡った。

 

・もしかしたら今日死んでしまう日なのかな、とおもうくらい、本当に様々なことが脳内を駆け巡った。1年に1回くらい、こんな日はあるのだが

 

・鬼首の大会、天気がよくて最高だっただろう。来年あたりから、また、少しずつスノーボードを始めたいとおもっている。長年スノーボードを続け、地元の雪山で何かしたいと思っていた。どうしたらよいか分からなかった悔しい20年前の自分が救われた気がする。センスがなくても、そのときは分からなくても、真摯に向き合ってゆけば、自分の何かが変わる。

 

・あきらめて、よい意味で落ち着いて、海に潜って1人静かにアレヤコレヤをゆっくりしていこうと思うと「こっちゃ来いこっちゃ来い。ゆっくりするのはまだ早い」と丘の上に引っ張りあげられる。

 

・なにすや!と思う反面、嬉しくもある。人とのつながりに感謝。当たり前のようだが、当たり前ではなく、奇跡である

・久しぶりの川渡公民館まつり

 

・そこでLIVE。地域で昔から踊られている川渡音頭を、ギター、アコーディオン、ベース、太鼓風ドラムセットで

 

・おじいやおばあが、急に輪になって踊り出した

 

・演者が、感動して泣いた

 

・素晴らしくピースフルな空間で、なんだか嬉しかった

 

・昭和にタイムスリップしたような感覚

 

・パンクもレゲエもポップもファンクもジャズもカントリーもヒップホップもブルーグラスもサイケデリックジャムもロックも全部好き

 

・そして、民謡も盆踊りもお囃子も。カッコいい音楽もダンスミュージックも村の祭りの踊りもおんなじだ。そこに何を感じられるが大切なんだ、きっと。それぞれのルーツを奏でて祭りあげればいいのだ。

 

・本当に素敵な時間だった。

 

・不思議な音楽の力。見えないチカラ。みんなありがとう