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ぐずらもずら

・保育園の卒園式でもらった花が枯れそうになっていたので「ごめんなさい、ありがとうして捨てるね」と娘に話したら、悲しそうな顔になった

 

・それを見て「じゃあ、もう1回だけ、水をあげて、栄養あたえてみよっか」ということになった。

 

・翌日。しおれて元気がなかった花が、凛とした姿に戻っていた。

 

・いつかの娘の「あきらめなければだいじょうぶ、うまくいく」という言葉を思い出した。

 

・枯れそうになっていたのは、いったい誰のせいだったのか。人間も同じことだろう。心や体、気持ちへの水やりを自ら怠っていたくせに、何を偉そうに捨てようかなどという考えにいたったのか、馬鹿垂れが。茨城のりこさんの言うとおりだとおもった。

 

・と同時に、農作物も、音楽も同じことではないのか、とも思った。終わりかけたその瞬間に、何かがはじまっている。ひとつの角度から見ただけでは気づかない。さまざまな視点で、物事をとらえよう。子どもの純粋で無垢な思考と発想に、毎日のように学ばせてもらっている。ありがとう。

 

・そんなこんなを思いながら、ボブマーリーを、というか、ウェイラーズを聞いた。本当に1000回くらい聞いているはずなのに、毎回発見があり、そして、INDEADはレゲエバンドではなく、ロックでパンクなのだとあらためて感じた。技術的なものではなく、リディム、タイム感、グルーヴ感、そういう類のもの。レゲエは単純で簡単だ、おもしろくないという人もいる。そう想う人もいるだろうが、何十年と聞いてみて、奥が深い音楽だな、というものを感じている。


・なんの音楽が1番好きなの?と問われることがあるが、どれも好きなので、選べない。音楽に関しては一生、優柔不断なんでしょね、きっと。

・ふきのとう、ウメの花、どれも例年より早い。とにもかくにも春がきた


・「窓の外でおもったんだ、あと10年たったら、なんでもできそうな気がするって。でも、やっぱりそんなのウソさ。僕はいつまでも何もできないだろう」という、フィッシュマンズの歌詞がすごい好き


・なぜひかれるのだろう。なぜものすごく共感できるのだろう。それは、この詞から、悲観的なものがまるで感じられないからではなかろうか


・なんだりかんだりやっているが、結局は、棒にも箸にもひっかからないとおもっている。だがそれは、結果を求めて取りかかっていることではなく、手にかけてるその状態が楽しいのであって。「結局なんにもならねがったねぇ。でも、たのしがったよねぇ、いがったよねぇ」と、そんな結末を迎えるような気がしてる。


・自分のことを言い当ててるような、そんな歌


・農作業の誘いもチラホラ出てきた。ほんとにありがたい。種を頼んだり畑のことを考えるとワクワクする。体は悲鳴を上げているが、喜びの声が、体を駆け回っている

・あの日から僕たちは何かが変わっただろうか 少しずつ少しずつ変わりゆくものと対峙して(録音中の曲から)

 

・今日も手を合わせて祈る。世界が平和でありますように。みんなが幸せでありますように。いつもと同じように淡々と日々を紡いでいく

 

・娘が保育園を卒園した。心配している股関節も、今のところは良好で。いろいろとこみ上げてくるものがあった。

 

・10年前なら想いもしなかった、まさか。10年後は生きているのか死んでいるのか、日本が戦争をしかけているのかいないのか。

 

・平和ボケしたのではなく、平和ボケするように教育・洗脳されたというほうが正しいような気がする。こんなことを言うとまた変人扱い、SNS大炎上なんだろね

 

・いい加減にしよう、そろそろ。みんな気づき始めてる、感度のよい人たちなら。やりたい放題やり杉くん。ええ加減がちょうどよいし気持ちよいのだ。

 

・福島のおんちゃんが辛い想いをしているのを見ているのが辛かった

 

・そんな人はきっと、山ほどいるのだろう

 

・できることは、乗らないで降りること。もう十分だとおもう

 

・ライブのお誘いが入ってきた。気づいたら春になっていた。そりゃ当然です。