98. 桜 | 憂さ憂さうさぎ

憂さ憂さうさぎ

世の中は憂さだらけ!
はき出す場所のない憂さを、ここで晴らしてみましょうか。

一夜明けて、5月3日。

今日は憲法記念日。

家にいても特別やる事があるわけでもなく。

自分は散歩へ出掛ける事にした。

この時期、実家の辺りは桜が満開なのだ。

その通りを横切って、とりあえず川へ向かった。

川へ出ると穏やかな温かい風が自分の頬をなでて通り過ぎて行く。

川沿いの家々の庭は花があふれていた。

色とりどりのスミレや水仙の花。

他にも沢山、自分の知識にはない花達が咲いていた。

自分は、そんな花達や川の水面に目を奪われながら、どこまでも続く川

の土手をゆっくりと歩いた。

やがて、大通りへぶつかる。

そこには、自分が通った小学校が見える。

昔はこの学校が大きく見えた。校庭もとても広かったように感じていた。

しかし、大人になってから見る小学校はやけに小さいような感じがした。

通りに面した場所にあったはずの大きな枝垂れ桜は見当たらなかった。

自分はその桜が好きだったのに・・・。

小学校横の土手を更に歩いて行く。

すぐ目の前には線路が見える。

確か自分の記憶では、この付近に新しい駅が出来るはずだったのだが、

今はまだ、工事の気配すら感じさせない状況だった。

ふと高水敷へ視線を向けると、見覚えのある物体が二つ・・・鴨のつがい。

確か去年の今頃も、ここから数十メートル下流で同じような光景を目にしたな。

去年見た個体と同じかどうか確かめる術はないが、その鴨達になぜか

愛着を感じずにはいられない。

また来年も会えるのだろうか。

進路を、家へ向かう方向に向ける。

帰りの道はずっと、桜が視界に入るコース。

時々立ち止まっては、桜へデジタルカメラを向ける。

そんな自分の上に、時折桜色がはらはらと舞い落ちた。

視界を埋める桜色の隙間から柔らかい光がこぼれおちる。

自分の心は、どうしてこんなにも “桜” に惹かれるのだろう。

桜のトンネルへ入る。

住宅街にある大通りは、両側の歩道が桜並木となっている。

それが、春になると桜のトンネルを形作るのだ。

その距離は、1km以上はあるだろうか。

その道を家の方向へ向かって歩く。

自分が中学校の時通った道だ。

正直自分は内向的で、人と接するのはかなり苦手である。

人ごみも嫌いというか、人ごみの真っただ中へ行こうものなら、具合が

悪くなってしまうのだ。

そんな自分の中学生時代は、まあ簡単に行ってしまえばいじめられっ子

である。

そのせいか、自分は他人を信用しない卑屈な性格になってしまった。

そんな自分でも、中学生の頃からこの桜のトンネルは好きだったな。

夏になると、この歩道は毛虫の絨毯へと変貌してしまうのだが。

母がいうには、現在毛虫は昔ほど酷くはなくなったそうだ。

あと数日も経てば、この桜は全て散ってしまう。

そしてほんのつかの間、桜色の絨毯が出来あがるのだ。

桜のトンネルを歩きながら木の根元を見ると、そこには新しい芽が沢山

育っていた。