長たる者の言葉 | 憂さ憂さうさぎ

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私はなんとも言えない 派!


自分の家の電気が復旧しテレビが見られるようになった頃、都知事

の発言が話題となっていた。

この津波を上手く利用して我欲を一回洗い流す必要がある。

積年たまった日本人の心のあかを。

これはやっぱり天罰だと思う。

そりゃあ、被災者の方々は可哀相ですよ。

その後の記者会見において、同氏は次のように述べていた。

被災された方には非常に耳障りな言葉に聞こえるかもしれませんが、

と言葉を添えた。

正確に言葉を聞き取って、正確に報道してもらいたい。

日本人の我欲が政治を左右している。

(例をあげる)

日本に対する天罰。

大きな反省のよすがになるのではないか。それをしなかったら犠牲者

も浮かばれない。

“天罰” は、天が下す罰。悪事に対する自然の報い。だそうだ。

ならば、この震災で亡くなった方々や被災した方々が、どんな悪事を

はたらいたというのだろうか。なぜ彼らが罰をうけるのか。

人間としてのささやかな幸せと平穏な日々、そして極稀にほんの少しの

贅沢を求めただけではなかったのか。

日本中、世界中にいる多くの人々がそうであるように。

今回の震災が我欲に染まった日本に対する天罰だとでも言うのであれば、

なぜ被災した人々が辛い苦しい思いを一身に背負わなければならないのか?

作家として活躍し数々の賞を受賞している石原慎太郎氏が天罰という言葉を

使った事。彼は言葉のプロであり、現在は東京都知事という重要な立場。

多くの人が聞く事となるであろう自身の発言において、言葉のプロとして

熟慮の上で言葉を選択しているはずである。

同氏は過去にも、配慮に欠ける発言によりたくさんの人の心を傷つける

という事を繰り返している。

弱者を否定し見下している。異なる文化を持つ人々を見下している。

人を労わる心が感じられない。総じて人々を見下し、過激な印象を与える

発言を繰り返している。

それを “歯に衣着せぬ発言” と評し支持する方々もいるようだが。

ならば、その人達も彼同様自分以外の人間を見下しているという事になる

のではないか。または、そんな彼の態度を容認しているという事になるの

ではないか。そのような人達が彼に一票を投じたのだろうと推測する。

福島第1原発の20km圏内にある福島県楢葉町の町議会副議長が、

町内に残る住民の命を守るためにと、自ら防護服を着て自衛隊員を

先導している。

自分が防護服を脱ぐのは、町の最後の一人が町を出た時と決めていると。

又、福島第1原子力発電所から約45kmにある福島県相馬市の市長は、

国が逃げろっていうまで、俺たちは絶対に逃げない。

ここで逃げたら相馬市はなくなってしまう。

地震と津波で犠牲になった市民や消防団員への「償い」として郷土の再建を

約束したそうだ。

これをネット上で読んだ時、人々の長となる人間のあるべき姿というものを

垣間見た気がした。

ずっと他者を見下すような言動を続けてきた人間に、果たしてこのような

覚悟をもって都政に臨むという事が出来るのかどうが、疑問を抱かざるを

えない。


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