37. よくわかります。 | 憂さ憂さうさぎ

憂さ憂さうさぎ

世の中は憂さだらけ!
はき出す場所のない憂さを、ここで晴らしてみましょうか。

今朝も昨日のスーパーの前に列が出来ていた。

最後尾に並んでいる男性に「スーパー開く予定なんですか?」

と聞くと、「ああ、昨日の時点では9時頃に始めると言っていたらしいよ。」

と教えてくれた。

今日も早速並ぶ事にする。今日は買い物袋もバッチリ用意してある。

しばらく並んでいると、前の方から新聞が二部回されてきた。

自分の後ろにもかなり並んでいるのが見えたため、あまりじっくりと読む

訳にもいかず、さらっと目を通しただけですぐに後ろの人へ回す。

前日お弁当屋さんで見せてもらった新聞の内容から、更に悪い状況が

次々と明るみになってきているようだ。

津波の被害が無かった地区にいるせいか、自分自身に実感は無い。

しかしそれは、ここから数キロしか離れていない場所での現実なのだ。

テレビを見ていると、コメンテーターや司会者達が

“よくわかります” とか “心中お察しします” などと言っているのを

目にする事がある。日常においても、そのようなセリフは時々聞く。

自分はそのセリフがあまり好きではない。

本当の当事者の気持ちは、当事者にしかわからないのだ。

たとえ全く同じ状況にあったとしても、受け取り方は人それぞれで、みな

寸分違わず同じということはないだろう。

“相手の身になって” も聞こえはいいが、自分が相手と同じ状況に実際に

なるという事は出来ない話で、結局は想像するだけなのだ。

だから自分には、津波によって被害を受けたり何かを失った人の気持ち

を “よくわかる” “心中を察する” といった言葉を使う事は出来ない。

勿論 “相手の身になる” のも無理だ。

ただ、少しでも理解したいと思う事、少しでも理解するために努力する事は

出来るし、自分がその状況におかれた時を想像する事も出来るだろう。

先ずはそれが第一歩なのだ。