今朝も昨日のスーパーの前に列が出来ていた。
最後尾に並んでいる男性に「スーパー開く予定なんですか?」
と聞くと、「ああ、昨日の時点では9時頃に始めると言っていたらしいよ。」
と教えてくれた。
今日も早速並ぶ事にする。今日は買い物袋もバッチリ用意してある。
しばらく並んでいると、前の方から新聞が二部回されてきた。
自分の後ろにもかなり並んでいるのが見えたため、あまりじっくりと読む
訳にもいかず、さらっと目を通しただけですぐに後ろの人へ回す。
前日お弁当屋さんで見せてもらった新聞の内容から、更に悪い状況が
次々と明るみになってきているようだ。
津波の被害が無かった地区にいるせいか、自分自身に実感は無い。
しかしそれは、ここから数キロしか離れていない場所での現実なのだ。
テレビを見ていると、コメンテーターや司会者達が
“よくわかります” とか “心中お察しします” などと言っているのを
目にする事がある。日常においても、そのようなセリフは時々聞く。
自分はそのセリフがあまり好きではない。
本当の当事者の気持ちは、当事者にしかわからないのだ。
たとえ全く同じ状況にあったとしても、受け取り方は人それぞれで、みな
寸分違わず同じということはないだろう。
“相手の身になって” も聞こえはいいが、自分が相手と同じ状況に実際に
なるという事は出来ない話で、結局は想像するだけなのだ。
だから自分には、津波によって被害を受けたり何かを失った人の気持ち
を “よくわかる” “心中を察する” といった言葉を使う事は出来ない。
勿論 “相手の身になる” のも無理だ。
ただ、少しでも理解したいと思う事、少しでも理解するために努力する事は
出来るし、自分がその状況におかれた時を想像する事も出来るだろう。
先ずはそれが第一歩なのだ。