誰もが違うということを前提とした教育にしていこう! -26ページ目

誰もが違うということを前提とした教育にしていこう!

主に特別支援教育、インクルーシブ教育、ASD、ADHD、LD等について書いていましたが、社会全体が大きく変わってきており、特定した話だけでは答えのない答えを導き出せない時代がやってきたと感じています。そのため何でも思いつくままに書いています。

皆さんは発達障害者支援法という法律があることをご存知ですか?
平成17年に施行された法律で、発達障害を持つ者に対する
援助等について定めた法律です。
簡単に説明すると、すべての日本国民は発達障害について勉強し、
発達障害児者への理解を深め、適切な支援や教育を
しなければならないというものです。

しかしながら、この法律を知っている教師は本当にいるのだろうか?
と思うくらい、、、学校では発達障害のある子ども達への配慮が
十分なされていないのが現状です。
一刻も早く教師の子ども達への言葉がけや対応方法を、
適切なもの(具体的で肯定的なもの)に変えて欲しいのですが、
なかなかそうもいかないようで、、、
どこの学校でも怒鳴って何とかその場を対処しようとしている
先生達を多く見ます。

私が学校現場を見るかぎりでは、教師が子ども達を怒らせている
(挑発している)としか思えない言葉が飛び交っています。
子ども達が問題行動を起こすのも致し方ないと
思ってしまう様子が数々見られます。

学校は誰のためにあるのでしょうか?
やはり子ども達のためにあると私は思っています。
学校現場がいかに忙しい状態であるか、人員不足かも重々承知です。
ベテランの先生もいれば、経験が浅い先生もいます。
いろんな先生がいる中で、いろんな状況があることが分かるだけに、
専門家達もなかなか言いづらい、、、
「こうして欲しい」「ああして欲しい」とは、
なかなかお願いしにくいのだろうと思います。

だからと言って、発達障害のある子ども達が
教師から不適切な言葉がけをされ続け、不適切な対応をされ続け、
挙げ句には教師も子ども達も問題行動を起こし右往左往するよりも、
各学校長が特別支援教育コーディネーターとなり、
学校全体をインクルーシブなものに変えていく必要が
あるのではないでしょうか?


誰でも、得意なこともあれば苦手なこともあります。
その得意なことを活かし、苦手なことはお互い様の心で
助け合える関係づくりの手助けをしていくのが学校教育だと
私は思っています。

文部科学省もそういった教育を進めていくために
インクルーシブ教育を推奨しています。

教師がADHDのある子ども達の対応に苦慮していることは
よく分かっています。
でも、ちょっと工夫をしたり、配慮したり、支援技術を学べば
子ども達への対応は楽になりますし、
何より、教師も子どもも互いに良い関係を結ぶことができます。
それには、ちゃんと発達障害を勉強することが必要ですけれど、、、

私達大人がちゃんと発達障害について勉強していれば、
子ども達は問題行動を起こして、社会や大人達に彼らの心の奥底にある
叫び(私達はどうしていいか分からなくて困っています。
助けてください)を問題行動で訴える必要がなくなるのです。

そうすると、この世の中の犯罪は減っていくでしょうし、
不登校やひきこもりも、いじめも、虐待も、体罰も、
暴力もなくなると思います。

各学校の校長先生、どうか、
学校全体で子ども達への適切な対応方法を学ぶ機会
定期的に作って頂きますようお願い申し上げます。
私が見る限りでは学校現場が法に触れています。

まずは、日本という国が福祉や教育に
しっかりお金を使うようにならなければなりませんが、
いつか誰かが変えてくれるだろうといった他人任せな気持ちではなく、
私達一人一人が声をあげていくことが大切です。

また、「発達障害は専門の先生に任せていれば大丈夫!」と
学校が思っている限り、発達障害者支援法という法律は
いつまで経っても意味をなしません。

私達一人一人が子ども達への適切な関わり方を勉強していけば、
必ず、子ども達は健やかに育っていきます。

各学校の校長先生!
一緒に子ども達への適切な対応方法を勉強して頂けませんか?

発達障害の特性は誰もが必ずいくつかは持っているものです。
その特性をたくさん持ちすぎて生きづらさを抱えている
子ども達や教師への理解をよろしくお願い致します。

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今日は、と~っても奥が深くて、説明するには365日くらいかかりそうな自閉症スペクトラムの大人の人達の話を十数分で、お伝えしようとしましたが、、、う~ん、実に難しかったです。

聴者の皆さんが自閉症の人達について誤解されないように、一所懸命話しましたが、大丈夫だったでしょうか?専門家の皆さん、当事者の皆さん、私が聴者の皆さんから誤解を受けるようなことを話していたら、どうかご連絡くださいね。よろしくお願い致します。

さて、今日はどんなお話をしたか、書いておきます。参考にしてください。

奥様がお風呂に入っているお子さんを「あなた、ちょっと子どもを見ておいてください」と言ったのですが、自閉症スペクトラムのご主人は子どもがお風呂で溺れていてもじっと見ていただけだったといったような話があります。

いわゆる、自閉症スペクトラムの人達は、言葉を言葉通り受けとめる脳機能を持った人達かもしれません。
それで、自閉症スペクトラムというのはスペクトラムというぐらいですから虹のようになっていて、知的障害があったり、言葉が出てこない人からとても知能が高くてノーベル賞をとるような人まで幅広くいらっしゃいます。

自閉症スペクトラムの特性をいくつか持っているくらいでしたら、そんなに生活に困らないけれど、
特性がたくさんありすぎると、どうしても困ることが多くなります。そういった場合は、診断をしてもらって支援を受けた方が生きやすくなります。然程、困っていなくて、自閉症スペクトラムの特性を活かして楽しく生活できるようであれば、障害という必要はないです。

それと、自閉症スペクトラムというのは障害か?個性か?とよく言われます。
私は「理解とサポートがあれば」ステキな個性になると思っています。ただ、医学的な立場からすると、「障害」になるようです。それはどうしてかというと、例えば、目が見えない人に対して、目の見えないことを「個性」だとは誰も言いません。だから、自閉症スペクトラムは生まれながらにして脳機能に偏りのある「発達の障害」になると言う先生もいらっしゃいます。また、「個性」というオブラートに包むことによって問題をあいまいにするより、きちんと「障害」としてとらえ、適切に対応していくのが医療の正しいあり方だとおっしゃる専門家もいます。

自閉症スペクトラムの人達は
社会性と、コミュニケーションと、こだわりと、感覚の4つの困難さをかかえていると言われています。この4つの困難さも人それぞれで、程度が違いますから、自閉症スペクトラムの特性が非常に重い場合は生活に支障が出てきますから、支援が必要となってきます。程度が軽い場合は、困難さがあったとしても何とか自分で工夫しながら社会生活を送っていくことができます。

ただ、当事者の皆さんが同様におっしゃるのは、
「会社で飲み会に誘われるのが辛い」とか、視覚的な刺激が多い場所で働くのは、気があちこちに散ってしまい仕事に集中できない」とか、「会社で人に会ったら挨拶しろ!」と言われるけれど、人の顔が覚えられないので、とにかく人に会ったら、片っ端から誰にでも挨拶をしていたら、ある時、柱に向かって挨拶して、柱に頭をぶつけた」とか、皆さん、本当にいろいろ苦労していらっしゃっていて、、、

家に帰ると神経がすり減って、ぐったりして寝込んでしまうと、、、更には、疲れすぎて脳が覚醒してしまい、夜眠れない等、多くの困難さを訴えていらっしゃいます。

こういったことがなぜ起きるのかというのは、
自閉症スペクトラムの人達は、生まれつき脳の一部の働きにアンバランスがあることが分かっています。

だから、人の気持ちが分からなくて、
自分の興味があることを(相手の反応に関係なく)話し続けるとか、、、話の文脈と違う発言をするなどがあると言われるわけです。

ただ、大人の自閉症スペクトラムの方々のお話では
同じ自閉症スペクトラムの人達の気持ちはよく分かるわけで、平均的な発達をしている人達の気持ちが分からないだけだとおっしゃる方もいるので、脳の働き方が違うと考えてもいいかもしれません。

それと、自閉症スペクトラムの人達の
「人の気持ちが理解できない」という特徴は、裏を返せば、妥協しないということになりますから、何かを成し遂げようとしたときに能力を発揮することができます。

あと、こだわりが強い方が多いので、
特定のことに深い知識を持つけれど、それ以外を知る気にならなかったり、予定を変更するのが嫌いだったりするとは言われますが、こだわりが強いという特徴は、粘り強い頑張り屋さんということを意味していますから、これも長所として活かすことができます。

もう一つ、感覚の問題です。
感覚が過敏すぎたり鈍感すぎたりするわけです。過敏すぎる方は、シャツのタグが皮膚に当たると痛くて仕事にならないとか、蛍光灯のちらつきが目に刺さって痛い、空調の音とか時計のカチカチという音が聞こえすぎて、夜眠れないとか、頭がおかしくなりそうになると言われる方もいます。

感覚が鈍感すぎる場合は、どれだけ回転しても目が回らないとか、
ジェットコースターが大好きとか、トランポリンを何時間しても大丈夫な人等をよく見かけます。

それと、よく言われるのが「人付き合いが苦手」です。
こういった場合はコンピュータなど機械相手の仕事が得意であれば、自分に合った仕事を見つければ、人付き合いに苦労しなくて済みます。

あと、
言葉を言葉通りにとってしまうというのは、言い換えると、言葉の裏が読めないということになりますから、会話がうまく成立しないことが多くなります。

例えば、上司が自閉症スペクトラムの部下にむかって
「何時間も、どこに行っていたんだ!」と怒ったとします。そうすると、自閉症スペクトラムの部下は「52分45秒です」とか真面目に答える人もいます。そして、もっと上司を怒らせてしまうといったケースはよくあります。

もう一つ、「何回聞いたら、分かるんだ!」と起こられて、
自閉症スペクトラムの青年が「まだ、13回しか聞いていません」と答えたりして、相手が「ふざけるな!」と怒って出て行ってしまったという話もあります。

この辺りも自閉症スペクトラムの特性を知っていれば、
くすっと笑いながら「あっそうか、今、自分が投げかけた言葉がよくなかったな」と思えるのですが、知らないとどうしても腹が立ってしまって、人間関係がうなくいかなくなってしまいます。

あと、例え話や皮肉が通じないこともあって、
上司が「よくもまあ、こんなすごいことができたねえ」と皮肉をいったにもかかわらず、自閉症スペクトラムの部下は「オレ、結構すごいことをしたみたいだな」と喜んだりする人もいます。

こういったことからもコミュニケーションがうまくいかないことがあります


でも、困難さばかりに注目するのではなくて、
その困難さを長所として活かしている企業もあって、自閉症スペクトラムの人達が持っている武器を生かそうと、55人の社員のうちの75%を、自閉症スペクトラムの人達の採用にあてたIT企業がデンマークにはあったりしますから、日本もそうなっていくといいな~と思っています。

いわゆる、ジョブマッチングさえうまくいけば
自閉症スペクトラムの人達も十分社会貢献できるわけで、そうなってくると、発達障害は理解とサポートがあれば個性になるわけなんです。

基本は、人はみんな違う、違っているのは当たり前と思って
人と付き合うことが大切だと思います。でも、どのように違うかは勉強しないと分かりませんから、やはり、他人を知るためには勉強が必要ですね。

20代の頃、私はアメリカで2年間程生活したことがあります。

アメリカで私は日本人であることや、英語をネイティブのように話せなくても
辛い思いをしたことはありませんでした。
アメリカ人は私を尊重してくれて、
日本人である私の良さを引き出してくれたように思います。

当時、私は長い髪をしていました。
生活費を切り詰めるために美容院に行っていなかっただけなのですが(笑)
私に近寄ってきた老夫婦は、私の黒髪の美しさを褒めてくれました。

また、日本人は数学がよく出来ると信じていた大学生は、
私に数学の宿題を教えて欲しいと言ってきました。
私がすらすらと解く姿を見て
「すごいな~!すごいっ!日本人は本当にすごい!」と
絶賛してくれました。
※私は算数はできませんでしたが、数学はできたのです。

ルームメートに折り紙で百合の花を折ってプレゼントしたら、
「こんなことができるなんて、なんて素敵なの!
日本人って、みんなこんなステキな物が作れるの?」と喜んでくれました。

こうやって、何かと褒めてくれるアメリカ人を
私はとっても好きになりました。

そして、人とは違う「かっこよさ」というものを、
私は彼らから、しっかりと教わって帰国したような気がします。

帰国後、私は、日本の学校や社会の中では、
「◯◯すべき」とか「◯◯しなければならない」という考えが
非常に多いことに気づきました。
そして、何とも言えない息苦しさのようなものを
感じたことを今でも覚えています。

ひょっとすると私達は学校で、
組織の中で管理される人間になるための方法を
教えられているのかもしれないな~と思う今日今頃です。
FMちゅーピー・広島すまいるパフェ「MISAKO先生のVIVA!発達凸凹~s!」LD編が
昨日放送されました。

どんな内容を話したのかというと、、、

LDは、はっきり知能が遅れているとか、
なにか障害があるとは思えないというのが特徴です。
でも、何でもないのかというと、、、
育ち方には、他の子どもとは何か違っている感じがするといった
ひっかかりや気になるところがあったり、
育てにくさがあると保護者や教師は言います。

男の子に多く見られるという特徴があるため、
男の子だから発達がゆっくりしているとか、
男の子だから元気がいいだけだとか、
男の子だから発達的に幼さが残りやすい等と言って
見過されていることが多いように思います。

そのため、「怠けている」「ふざけている」「努力がたりない」等と
言われながら叱られながら育つことが多いため、
不登校やひきこもり、抑うつ状態、自信喪失といった
二次障害になっていることが多いのが現状です。

LDを抱える子ども達の困難さは多種多様で、
実際にはどれだけ努力しても読み書きができるようにならず、
本人も周りも気づかず、支援がないまま育っていることが多いです。
LDへの理解と支援がない場合は、
子ども達は鬱になったり、自傷したり、自殺を図る子どももいて、
家庭内暴力や非行に走る子ども達も多くいます。

どうか、LDのある子ども達に「やる気がない」とか「怠けている」と
言わないでください。
脳の働き方が、一般の人達とは違うために
うまく書いたり読んだりできるようにならなかったり、
簡単な計算ができなかったりする人達がいるんです。

だから、この子達にこれまでのやり方(繰り返し書いたり読んだりして
練習させて何としてもできるようにしよう)は
虐待をしていることと同じなのです。

LDのある子ども達の苦しみがよく分かる本がありますので紹介します。
LDのある大工さん・井上智さんが書かれた
「読めなくても、書けなくても、勉強したい」という本です。

井上さんの著書を読むと、LDのある子ども達が
読み書きや計算ができないことはいけないことだと思って、
ひたすら、できないことを隠そうとしていることが分かります。

その読み書きや計算ができない恥ずかしさから
それを周りに知られまいとして、中学生くらいから、
授業中、寝たふりをする子もいます。
教室で暴れる子もいます。
教師に反抗する子もいます。

こういった子ども達をただ悪い子とレッテルを貼るのではなく
ひょっとして何か発達に課題があるのではないか?
LDがあって学習に困難さがあるのではないか?と
背景を探ってみて欲しいのです。

どうか、彼らに罰を与えるのではなく、
支援という手を差し伸べて欲しいと思います。

そういったLDのある子ども達に私達大人がしてきた罪の深さを
知ることができるのが、井上智さんが書かれた
「読めなくても、書けなくても、勉強したい」という本です。

2007年から特別支援教育が始まっていますから、
「LDを知らなかった」では済まされない時代となっています。
今では、LDのある子どもは教室にipadを持って
授業に望むことができるようになりました。
ict機器を利用するのはLDのある子ども達に
読み書きができるようにするためではありません。
彼らの自信を取り戻すためにあるのです。

誰でも当たり前にできると思われている
読み書きや簡単な計算ができないというのは、
学校にいることが本当に辛いのです。
生きる自信を失ってしまうのです。

どうか、皆さん、発達が凸凹している子ども達に
支援の手をさしのべてやってください。
よろしくおねがいいたします。

ざっと、こんな内容で話しました。
途中、井上智さんの本の内容を紹介をしていたときは、
井上さんのあまりの苦しみが私に入り込んでしまって、
涙をこらえることができなくなりました。

そんな苦しみを、これからの子ども達にさせないように
私達は心してLDを知っておく必要があります。

FMちゅーピー

りぼん ぷろじぇくとさんの「戦争のつくりかた」を紹介します。

戦争はいけないって、みんな分かっているけれど、
いつしか戦争になってしまうこの世の中の流れは
どうなっているのでしょうか?

戦争のない平和な世界であり続けるためには、
私達の気づきと、「戦争をしない未来を選びとる」ことが
大切だと思います。

こちらから、絵本「戦争のつくりかた」を読んで
戦争のできる社会になっていく過程を知ってみてください。
それに気づいた私達は、みんなで平和な国づくりをして
みんなが幸せに暮らし続けていける工夫ができるようになると思います。
http://www.ribbon-project.jp/sentsuku/




ジャック・ロビンソン(アメリカのプロ野球選手)が
実に明快な「人生のルール」を語っています。

1.肉体を与えられる。
好むと好まざるとにかかわらず、この肉体とは、生きている間、ずっとつきあっていかなくてはならない。

2.いろいろな教訓を学ぶ。
人間は「人生」という名の学校に毎日通い、いろいろな教訓を学んでいく。
中には、自分とは無関係でばかばかしく思われるものもあれば、なるほどと思えるものもあるだろう。

3.失敗は存在しない。あるのは教訓のみ。
成長とは試行錯誤の繰り返しで、実験によく似ている。
たとえうまくいかなても、あきらめずに試みればいつかは成功に結びつく。

4.教訓は修得するまで、何度も繰り返される。
一つの教訓は完全に身につくまで、いろいろな形で提示される。
一つを修得して初めて、次の新しい教訓が示される。

5.学習は一生続く。
人生とはすなわち教訓の連続である。
生きている限り、教訓を学び続ける。

6.「あっちの水」も「こっちの水」も甘さは同じ。
「あっち」にたどり着くと同時に、「あっち」は「こっち」に変わる。
そして、また新しい「あっち」が現われ、「こっち」よりもよく見えてくる。

7.他人は、自分を映す鏡。
他人の好きな部分も嫌いな部分も、すべて自分の内に持っている。
他人を見る時、そこには、自分が映し出されてくるのだ。

8.人生は自分自身で切り開くもの。
生きていくのに必要な道具や材料は、生まれた時から全部持っている。
どれを選ぶか、どう活用するかは自分次第だ。

9、すべての答えは、自分の内にある。
人生で生じる疑問への答えは、自分の中にある。
大切なのは自分を見つめ、内なる声に耳を傾け、それを信じることだ。

10.これらはいずれ忘れるだろう。

11.だが、必要とあらばいつでも思い出される。

ジャック・ロビンソン
FMちゅーピー「広島すまいるパフェ」
MISAKO先生のVIVA!発達凸凹~s!
ADHD・子ども編、しゃべってきました~!!!

まずは、ADHDは障害か?個性か?
そもそも障害って何?というところから話しました。

何らかの障害があるから、人は「障害者」なのではなく、
理解がない、支援機器がない等の環境が整わないために
活動が制限されたり、
社会に参加できなくなったりして、
人は初めて障害者になるわけで、、、、、
日常生活で困らなければADHD的症状があっても、
障害者にはならないんですよ~と。

だから、みんなが生活しやすい環境を整えることが
必要なんですよ~と。

そうすると、みんなADHDやほかの機能障害が
どういったものかを知っておく必要がありますよね。

こんなことを言うと、
「めんどくさいな~」と思う人もいるかもしれません。

しかしですね、人はみんな年をとっていくわけです。
年をとれば、みんな老化するんですね。
そうすると、活動に制限が出てきます。
活動に制限が出てくると~、、、
そう!社会参加が難しくなる!
だから、あなたも私もみ~んな、みんな障害者だということ。
そんな考え方を話しました。

そして、不適切な親のしつけや、教師の指導が原因で
ADHDになることはないということ、
でも、環境によってはADHDに似た症状が出ることも
あるということ、、、などなど、、、話しながら、
ADHDの子どもの特徴を挙げました。

1、
忘れ物が多い
2、身辺整理ができない
3、突然しゃべりだす
4、すぐに席を離れる
5、友達とトラブルをおこしやすい
6、勝ち負けにこだわる
7、しゃべりすぎる
8、じっとしていられない
9、手遊びをする
10、先生の指示に従えない
11、勝手な行動をとる
12、先生の話が聞けない
13、すぐあきらめる
14、集中力がない
15、反省はするが、またすぐに同じことを繰り返してしまう。

水田アナも石田チーフディレクターも私も、
ほとんどあてはまらない!!!
しか~し、大人のADHDの症状はいっぱいある!
なぜだ~?ということになり、、、
私達は老化という現象と、
メディアという多くの仕事を
同時進行しなければならない環境によって
そうなってしまったのかもしれない!?
という結論に達したのでありました(笑)

そして、「集中できない」からこそ
「ひらめき」が生まれるわけで、
「じっとしていられない」からこそ
「実行力」として活かすことができるわけです。
ADHDの特性を才能として活かしていきましょう。

しかし、自分のことを理解できないまま大人になって、
自信を失って日常生活で困難を抱えている人も多くいます。

だから、早期に特性を発見して、
周りがその子の特性を理解して、
本人も自分のことをよく理解するということが
大切なんじゃないかな~っと、お伝えしました。

次回は来年1月14日(火)午後4時~
LD(学習障害)についてしゃべる予定です。

ちゅーピー12月

夜回り先生の経験から、私達は「愛」だけでは子ども達を救うことは
できないということを知りましょう!

『マサフミ少年』

よく薬物の専門家たちは
「真面目な子ほど、薬物を真面目に使って死んでいく。
心に傷がある者ほど、
その傷を埋めるために必死に使って死んでいく」
と言います。

マサフミもそんな少年でした。

マサフミがいなかったら僕は薬物と闘っていなかっただろうし、
ある意味では幸せだったかもしれない。

彼は高校生の入学生にも
シンナーを吸ってくるほどの依存症で、
僕が夜回りで見つけた時も、
夜の公園で空き缶を使ってシンナーを吸っていました。

なぜか最初から気が合って、
その日、空が明るくなるまで語り合っていました。

彼は幼い頃に暴力団抗争で父を亡くし、
以来母親と2人で6畳1間、
風呂なし、トイレ共同の木造アパートに住み、
貧しいながら幸せに暮らしていました。

母親思いでね、
小学校の時は学級委員をやるほど真面目で優秀だったそうです。

ところが、5年生の時、
母親が過労で寝たきりになり、生活が一変してしまう。

電話、電気、ガスは止められ、
食べ物にも困るようになった。

マサフミはコンビニを1軒1軒回り、
「僕の家は貧しいから、捨てるお弁当をください」
と頼んで歩いたそうです。

ほとんどが
「余ったお弁当は業者に戻さなければならない」
と断る中、遠くの町にある1軒だけが、
「弁当を戻すのは午前2時だよ。
そんなに遅くに来られるかい?」
と言ってくれた。

その日から午前零時に家を出て、
捨てる弁当を貰いに行きました。

しかし、親子2人、
当然弁当1つでは身が持ちません。

マサフミは給食のおばさんに
「公園の犬に餌をやるから」
と嘘をついて、
余ったパンと牛乳をもらうことにしました。

ところが、子どもたちは敏感です。

彼が給食の余りをもらっていることはすぐに同級生に知れ渡り、
それから猛烈ないじめが始まった。

一番辛かったのは、帰り道に公園に連れていかれ、
せっかくもらったパンを地面にばらまかせ、
ことごとく踏みつけられた時だったとは言っていましたね。

そんな状況を見かねて助けてくれたのが、
同じアパートに住む暴走族でした。

暴力で同級生たちを抑え込み、
マサフミは6年生からその仲間となった。

母親は
「息子が暴走族になったのは自分が病に倒れ、
貧しい暮らしをさせたせいだ」
と自分を責め、
自分を責める母親を見るとマサフミはますます辛くなった。

そこから逃れるためにシンナーに手を染めていったのです。

公園で会った次の日、
学校へ来たマサフミは僕の顔を見るなりこう言いました。

「先生、俺シンナーやめるよ。
昨日からいろいろやめ方を考えたんだけど、
いい方法を思いついた。
先生と一緒に暮らしたら吸えないよな」

「そうだな。
いいよ、今日から家に来い」

そうして1週間、10日間、僕の家で暮らすと、
「もうシンナーやめれれた。
母ちゃんが心配だから家に帰るよ」
と言って帰っていく。

しかし、2、3日後には、
夜中に泣きながら電話をして、
「俺、また使っちゃったよ。
体が勝手に動いて、
先輩の家からもらってきた・・・。
先生、俺のこと嫌いになる?」

「いいよ、きょうから家に来い」

そうして1週間、10日間、僕の家で暮らすと、
「もうシンナーやめられた。
母ちゃんが心配だから家に帰るよ」
と言って帰っていく。

しかし2、3日後には、
夜中に泣きながら電話をして、
「俺、また使っちゃったよ。
体が勝手に動いて、
先輩の家からもらってきた・・・。
先生、俺のこと嫌いになる?」

「いいよ、しょうがないよ。
また明日から家に来い。
焼き肉してやるよ」

そしてまた僕の家に来る、その繰り返しでした。

6月も下旬を過ぎた頃、
授業を終えて教室に戻ると、
マサフミが新聞の切り抜きを持って待っていました。

「俺、やっぱり先生じゃシンナーやめられない。
この新聞に載っている
『神奈川県立精神医療センターせりがや病院』
ってところは、
シンナーや覚せい剤をやっている10代の子を治してくれるんだって。
連れて行ってよ」

僕はカチンときました。

こんなにしてやっているのに、
俺じゃダメだって言うのか、
そう思うと、腹が立って仕方がなかった。

だから、その日僕は冷たかった。

「分かった。
連れていってやるよ。
でも今週は忙しいから来週だ」

そう答えると、マサフミは
「きょう先生の家に行っていい?行っていい?」
とまとわりついてきました。

でも僕は、その日は一緒にいたくなかった、
だから嘘を言いました。

「ダメだ。
きょうは神奈川県警と山下公園の公開パトロールをするから、
おまえを連れていけない」

そう言って、夜10時頃、
彼を騙して追い返したんです。

マサフミはエレベーターホールへ向かって歩きながら、
何度も何度も僕を振り返って、
最後に一言叫びました。

「水谷先生ーっ、冷てぇぞ!!」

それが最後の言葉で僕はあのまま帰せば雅文が
「さよならシンナー」
をやることは分かっていました。

友達に
「俺、今度こそシンナーやめる。月曜日に病院に行くんだ」
と言うと、
「じゃあ最後に“さよならシンナー”やるべ」
となることは予測できていたんです。

それでも僕は騙して彼を帰した・・・。

僕と別れて4時間後、6月25日の午前2時、
マサフミはシンナーを吸って、
フラフラと道路に飛び出し、
ダンプカーに轢かれて即死しました。

シンナーの幻覚で、ライトが何かキラキラした
きれいなものにでも見えたんでしょう。

両手でつかむように飛び込んでいったといいます。

マサフミは僕が殺した最初の子です。

僕はもう教員なんてやる資格はないと思いましたね。

学校を辞める決意をして身辺整理をしていましたが、
その時、あの日マサフミが持ってきた新聞の切り抜きが出てきた。

気持ちの整理をつける意味でも、
彼を連れていく予定だった、
「せりがや病院」
の院長を訪ねました。

そこで院長に言われた言葉を、
僕は一生忘れることができません。

「水谷さん、彼を殺したのは君だよ。
シンナーや覚せい剤は簡単にやめることはできない。

それは“依存症”という病気だからだ。

それをあなたは愛の力で治そうとした。

高熱で苦しむ生徒を、
愛情込めて抱きしめたら熱が下がりますか?
『おまえの根性がたるんでいるからだ』
と叱って下がりますか?

病気を治すのは、私たち医者の仕事です。
無理をしましたね」

返す言葉がなかったですね。

そんな僕にさらに院長は続けました。
「あなたは正直な人だから
学校を辞めようとしているのかもしれない。
辞めないでください。
いま薬物が若者の間で急速に広がっているのに、
それに取り組む教員が1人もいない。
われわれと一緒に戦いましょう。」

子どもたちは花の種です。

でもその花は決して夜の世界では咲かない。

温かい太陽の下でしか花を開かせることができないのです。

昼の世界が優しくして、
自己を認めてくれて、
受け入れてくれるならば、
どの子が夜の世界へ行きたいか。

どの子がリストカットをするか。

本当はどの子も夜は温かい家で、
優しさに包まれて、
安心して眠りたいのです。

それを用意するのがわれわれ大人の仕事です。

FMちゅーピー「MISAKO先生のVIVA!発達凸凹~s!」2回目は、
ADHD・大人編でした~。

「こんなことありませんか~?」ということで
以下21項目を聴者に聞いてみました。

1)やらなければならないことを先送りにする。
2)つまらないミスをする。
3)根気のいる仕事はいやだと思う。
4)人の話を上の空で聞いていることがある。
5)字の小さい説明書を読みながらやるとイライラする。
6)忘れ物や、やるべきことを忘れたりする。
7)大切なものをなくしたり、どこに置いたかわからないことがある。
8)周囲で何かあると、気になって集中できない。
9)マニュアル通りにやるのはいやだと思う。
10)掃除・整理整頓は自分に向いていないと思う。
11)アイデアがいろいろ湧いてくる。
12)いくつかの仕事を同時にする。
13)興味のあることには寝食を忘れ、熱中する。
14)貧乏揺すりなど、無意識に手足を動かす。
15)興味のない話を聞いているだけの会合では、席を立ちたいと思う。
16)衝動買いなど、よく考えずに行動することがある。
17)おしゃべりであると、人によく言われる。
18)人の話を聞くより、自分で話したくなる。
19)レジで長く待つのは、イライラする。
20)思っていることをすぐに口にする。
21)実行力のある人と言われる。

ほとんど当てはまってしまった水田アナウンサーと
ディレクターと私、、、
どうやらADHDタイプのようです(笑)

今日はそんな私達のことを含めて、
ADHDタイプの人が成功するコツを少しばかりですが
お話しました。

それは、自己理解を深めるということ。
そして、自分が得意なことをとことん活かして
生きるということなんですねえ。
苦手なことは便利な機器(パソコンや携帯、食洗器、
乾燥機付き洗濯機、留守中に勝手に掃除をしてくれる掃除機、
タイマーなどなど)をとことん使って、
人に助けを求めて、
苦手なことはできるだけやらなくてもいいような
環境をとことん作っていくことが大切なんじゃないかな~?
とお伝えしました。

どうでしたか?
皆さんの生活のヒントになっていればいいのですが、、、

さて、来月は「ADHD・子供編」についてしゃべりますね。

FMちゅーピー11月

私達に起こるすべてのことが、
私達にはすべて意味のあることなのだと、
よーく分かるお話を紹介します。
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僕は今年三月、担任の先生から勧められて、A君と二人、K高校を受験した。

K高校は私立であるが、全国の優等生が集まって来ている、いわゆる有名高校である。

担任の先生から、君達二人なら絶対大丈夫だと思うと強くすすめられたのである。

僕らは得意であった。

父母も喜んでくれた。

先生や父母の期待を裏切ってはならないと、僕は猛烈に勉強した。

ところがその入試でA君は期待通りパスしたが、僕は落ちてしまった。

得意の絶頂から、奈落の底へ落ちてしまったのだ。

何回かの実力テストでは、いつも僕が一番で、A君がそれに続いていた。

それなのに、その僕が落ちて、A君が通ったのだ。

誰の顔も見たくないみじめな思い。

父母が部屋に閉じこもっている僕のために、僕の好きな物を運んでくれても、優しい言葉をくれても、それが余計にしゃくにさわった。

何もかもたたき壊し、ひきちぎってやりたい怒りに燃えながら、布団の上に横たわっている時、母が入って来た。

『Aさんが来てくださったよ』
と言う。

僕は言った。
『母さん、僕は誰の顔も見たくないんだ。
特に世界中で一番見たくない顔があるんだ。
世界で一番いやな憎い顔があるんだ。
誰の顔か言わなくたってわかってるだろう。
帰ってもらってくれ』

母は言った。

『せっかくわざわざ来てくださっているのに、母さんはそんなこと言えないよ。
あんたの友だちの関係って、そんな薄情なものなの。
ちょっとまちがえば敵味方になってしまうような薄っぺらいものなの?
母さんにはAさんを追い返すなんてできないよ。
いやならいやでそっぽを向いていなさいよ。
そしたら帰られるだろうから』
と言って、母は出て行った。

入試に落ちたこのみじめさを、僕を追い越したことのない者に見下される。

こんな屈辱ってあるだろうかと思うと、僕は気が狂いそうだった。

二階に上がって来る足音が聞こえる。

布団をかぶって寝ているこんなみじめな姿なんか見せられるか。

胸を張って見すえてやろうと思って、僕は起き上がった。

戸が開いた。

中学の三年間、A君がいつも着ていたくたびれた服のA君。

涙を一杯ためたくしゃくしゃの顔のA君。

『僕だけが通ってしまってごめんね』

やっとそれだけを言ったかと思うと、両手で顔を覆い、駆け下りるようにして階段を下りて行った。

僕は恥かしさでいっぱいになってしまった。

思い上がっていた僕。

いつもA君になんか負けないぞとA君を見下ろしていた僕。

この僕が合格してA君が落ちたとして、僕はA君を訪ねて、僕だけが通ってしまってごめんね、と泣いて慰めに行っただろうか。

ざまあみろと余計に思い上がったに違いない自分に気がつくと、こんな僕なんか落ちるのが当然だと気がついた。

彼とは人間の出来が違うと気がついた。

通っていたらどんな恐ろしい一人よがりの思い上がった人間になってしまったことだろう。

落ちるのが当然だった。

落ちてよかった。

本当の人間にするために天が僕を落としてくれたんだと思うと、悲しいけれども、この悲しみを大切に出直そうと、決意みたいなものが湧いてくるのを感じた。

僕は今まで思うようになることだけが幸福だと考えてきた。

が、A君のおかげで思うようにならないことの方が、人生にとってもっと大事なことなんだということを知った。

昔の人は15歳で元服したと言う。

僕も入試に落ちたおかげで元服できた気がする。

引用元:「生かされて生かして生きる」青山俊董著