成績表について考えてみる | 誰もが違うということを前提とした教育にしていこう!

誰もが違うということを前提とした教育にしていこう!

主に特別支援教育、インクルーシブ教育、ASD、ADHD、LD等について書いていましたが、社会全体が大きく変わってきており、特定した話だけでは答えのない答えを導き出せない時代がやってきたと感じています。そのため何でも思いつくままに書いています。

広島でインクルーシブ教育の普及啓発をしている

NPO日本インクルーシブ教育研究所の中谷美佐子です。

 

さて、成績表というのは、「平均的な発達をしていることは素晴しい。

発達が凸凹していることは良くない」といった前提で

作られているような気がしてならないのは私だけでしょうか?

 

そういった視点で子どもを見た場合、

発達が凸凹している子ども達の成績表は

どうなってしまうのでしょうね。

 

私達大人がみんなで発達が凸凹している子ども達を

救う方法を考えるきっかけになればと思い、今日は書いています。

例えば、小学校の通知表には、次のように書いてあります。

 

関心をもち意欲的に学習しようとする

目的や意図に応じて適切に話したり聞いたりすることができる

音楽のよさや美しさを感じ取り表現の仕方を工夫する

衣食住についてよりよく暮らすために工夫することができる、、、等

 

何を基準に「工夫できる」「よくできる」なのか?

平等に教育を受けられるように

各々への早期発見・早期対応があり

各々が必要としているサポートがあった上での評価なのか?

私は疑問に思っています。

 

平均的な発達をしている子ども達を基準に評価すれば、

恐らくASDやADHD、LDの子どもは平均的な発達をしていないため

適切なサポートがなければ良い評価を受けることはないでしょう。

私達にすりこまれてきた記憶(普通がいい、みんなと同じでなければならない、

違うことは劣っている)等で子ども達の成績をつけているとしたら、、、

発達に偏りのある子ども達はあまり良い成績はもらえないでしょう。

 

もしくは、本人達も学校には居づらくなり

自然と学校から遠ざかっていくでしょう。
そうすると、ますます成績は良くない方へ向いていきます。


しかし、彼らのような人達が(環境が合っていて、うまく育った場合は)、

社会で活躍しており、この社会に変革をもたらしていることも

私達は肝に銘じておかなければなりません。

今、国はインクルーシブ教育をすすめていますが、

この教育は誰もが違うということを前提としていますから

私達大人の心の奥底にある【歪み】や【偏り】を取り除かないことには

成立しない教育だろうと思います。

 

そうすると、各々に差別や偏見があれば、

それらを個々が自分の中から取り除いていかなければなりません。

 

差別や偏見というのは「その人のことを知らない」ということから始まりますから

人それぞれの違いを正しく理解し合う時間が必要となります。

 

日本にはまだまだ「みんな同じ方がいい。違うことはカッコ悪い」

といった考えが根強く残っていますから

インクルーシブ教育がなかなか進みにくいのかもしれません。

 

日本の教育は課題が山積していますから

1つづつ、みんなで考えて解決していけるよう

引き続き、声を上げていきたいと思います。

 

11月26日(日)の公開講座では

広島大学の石附智奈美先生と星槎大学の三森睦子先生のお話があります↓

NPO日本インクルーシブ教育研究所 学習・発達支援員養成講座

 

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