*相互理解への道* いいところを探し合う編 | 誰もが違うということを前提とした教育にしていこう!

誰もが違うということを前提とした教育にしていこう!

主に特別支援教育、インクルーシブ教育、ASD、ADHD、LD等について書いていましたが、社会全体が大きく変わってきており、特定した話だけでは答えのない答えを導き出せない時代がやってきたと感じています。そのため何でも思いつくままに書いています。

発達障害という障害は、
外見からだけではその障害が全くもって分からないため、
誤解を受けることが多いです。

周りの人達の「発達障害への理解」が進んでいないだけでなく
誤解や偏見もあり、本人や家族を傷つけてしまうことも
少なくありません。

発達障害のある人達が、自分の得意を活かして
苦手なところは他者に助けてもらいながら
幸せにいきていけるようになるには
どうしても平均的な発達をしている人達に
「発達障害」を理解してもらわなければなりません。

ただ、周りの人達に理解を求めようと思っても、
小さい頃から支援を受けることができないまま
育つしかなかった大人の発達障害の人達は
二次障害となっていることも多く、
周りの人達から「困った人」「トラブルメーカー」等と言われていて、、、

「こちらが迷惑を受けているのにどうやって理解すればいいのか?」

「発達障害の人を理解する前に、こちらが悩んで病気になってしまった」

「何かと細かく追求してくるし、攻撃もしてくるし、もうへとへとです。
私がどれだけ気を遣って対応しているか、ぜんぜん気づいてくれないんです」

「こちらがよかれと思ってしていることに対して、
すぐに怒ってくるんですよ。
自分が悪いって気づかないんです。
常に人のせいにしてしまうので、もうお手上げなんです」

と、皆さん、疲弊されています。

でも、ちょっと、考えてみてください。
平均的な発達をしている人達が感じていることと同じように
発達障害のある人達もかなりの苦しみを味わっているということを。

つまり、違うものどうしが共に生きていくには
理解し合うことが必要だということです。

でも、この「理解」というのが実に難しいのですね。

それは、学校や家庭で発達障害について
「発達障害って、そのままですばらしいんだよ。
周りが理解してくれて、自分で工夫する力がつくと、
とってもハッピーな生き方ができるんだよ」なんて
言ってくれる人が今のところ、あまりいないからです。

発達障害のある人達の脳機能は
自分のことや他者のことについて気づきにくいという困難さがあるわけですから、
どういった言葉を使うと相手が傷つくのか?や
相手が腹を立てるのか?等が分からなかったり、
お互いに気持ちよく過ごすためのマナーを学ぶ機会がないまま育ってきて、
トラブルが起きるたびに、苦悩しているのです。

こういった発達障害のある人達の苦しみを知ると、どうでしょう?

「あ~そうだったのか」と理解できて
やさしさが生まれてきませんか?

だから、発達障害のある人達には、
どうすればいいかを具体的に伝えるといいのですが、
そのときに、こちら側の要求に応えてくれたことへの
感謝の気持ち「ありがとう」を伝えることを
忘れないで欲しいな~と思っています。

一方、発達障害のある人達も
平均的な発達をしている人達が
自分たちの要求に応えてくれたときは
やはり感謝の気持ち「ありがとう」を
伝えてもらえるとうれしいです。

しかし、両者ともに、ほとんどの人達が、
して欲しくない行為に対して、ガミガミ怒るんですね~。
これがいけないんです

だから、察することに困難さのある発達障害の人達は
察する文化の中で生活していると
「褒められる」という経験が少なくなってしまいます。

それで、自己肯定感が低くなって、
どうしても物事を否定的に受け取りやすくなってしまいます。

自己肯定感が低い人が「あっ!自分が悪かったんだな。
こうすればよかったんだ。次からはがんばってみよう!」なんて
前向きになれることは少ないように思います。

こういったことを理解すると、
「あたなにはこんないいところがありますよ」
ということを互いに伝え合うためにも、
「いいところを探し合う」を
してみることをおススメします

「いいところを探し合う」をし始めると
人を褒めることができるようになりますから、
誰もが、とてもいい関係になっていくんですよ

褒められることの気持ちよさを
より多くの人達に体験してほしいと思っています。