*相互理解への道* バカにされたって本当?編 | 誰もが違うということを前提とした教育にしていこう!

誰もが違うということを前提とした教育にしていこう!

主に特別支援教育、インクルーシブ教育、ASD、ADHD、LD等について書いていましたが、社会全体が大きく変わってきており、特定した話だけでは答えのない答えを導き出せない時代がやってきたと感じています。そのため何でも思いつくままに書いています。

よく発達障害のある人達は周りの人達から誤解を受けます。
それは、言葉の使い方が平均的な人達とは違っているからかもしれません。

平均的な発達をしている人達は、その場その場に応じて
言葉を使い分けたり、声のトーンや抑揚をつけて
状況や自身の感情をうまく相手に伝えることができます。

一方、発達障害のある人達は表情の作り方が上手くいかない人が多いようで、
いつもにやけているように見えたり、
怒っているように見えたり、
無表情のため無愛想に見えたりするため、
いろいろ誤解を招いてしまいます。

また、言葉の使い方も誤学習していることもあり、
その場で使ってはいけないような言葉を知らないまま使ってしまうこともあります。

言葉1つとっても、抑揚や声の大きさだけで
意味が随分違ってきますが、
そういった微妙な使い分けは上手くできないことが多いと思われます。

そのため、平均的な発達をしている人達を怒らせてしまいます。
同じように発達障害の特性を多く持つ人も怒らせてしまいます。

※発達障害のある人は自身のことには気づきにくいのですが
他の発達障害のある人の特性には非常に敏感に反応しやすい傾向があったり、
自分が持っている特性(自分が嫌だと思っている部分)を
相手も同じように持っていると、腹が立つことが多いようです。
このとき、自分にも同じ部分があるとは気づきにくいため
どうしても相手を嫌ってしまいます。

また、発達障害のある人は相手の声が大きいだけで
相手は何の他意もないにもかかわらず、
自分を「怒っている」「バカにしている」と捉えやすい傾向がある人もいます。

こういった場合は、できるだけ、声の大きさを小さくして
ぼそぼそっと伝えてあげる方がよいようです。
[注]これは発達障害の人達すべてに当てはまるわけではありません。

例えば「あれ?」という言葉ひとつ使うにしても、
本人はただ単に「これは、何かしら?」と疑問に思っていたとしても、
裏の意味をとってしまいがちな人にとっては
トーンや抑揚の付け方次第で「何よ!これ!どういう意味よ!」と
バカにしているように聞こえてしまうこともあります。

こういったトーンや抑揚の付け方や
言葉の使い方は発達障害のある人達にとって
実に難しいものなのです。

そこのところに気づかず
(発達障害の人達の困難さを理解できず)
一般の人達が「バカにされた。傷ついた」ということが
よくあるのが現状なのです。

一方、自身の言葉の使い方で相手を傷つけてしまっていることさえ
気づくことができない発達障害のある人達は本当に苦悩しています。

なぜ?周りが怒っているのか?
自分の発した言葉の何がいけなかったのか?
自分のどこを、どのように直せばいいのか?
自分で気づくことができない、
またどうしていいか分からない苦しみがあります。

そして、彼らが大人になって随分経ってから
自身の困難さに気づいたときの苦しみは
計り知れないものです。

私がおつきあいしている自閉症当事者の女性は
「自分が発達障害だと分かってから、
発達障害について深く勉強するようになりました。
そうすると、自分がこれまでしてきたことが
どれほど恥ずかしいことだったかを思い知らされるのです。
そうすると、あまりの恥ずかしさで生きるのが辛くなってしまいました」と
おっしゃっていました。

また、多くの大人になった発達障害の人達が
次のように言っています。

「子どもの頃から自身の特性を知って、
人はみんな、感じ方や受け取り方が違っているということを
教わりながら育っていたら、
どんなに楽に生きることができただろうか?」

この言葉から分かるように、
すべての人が「自分は普通」と思って
自分中心で物事を捉えていると、
他者や自分の困難さに気づいていない場合は
どうしても「傷つけられた、バカにされた」と
思うことが多くなってしまいます。

自分がバカにされたり傷つけられているのではなく、
ひょっとすると、自分も他者をひどく傷つけてしまっているのかもしれないと
時には、見方を変えてみることも必要かもしれません。

そうすると、とても穏やかな人間関係が築けるように思うのですが、、、
平和に暮らすには、すべての人が「自分は普通」と勘違いしているのではないか?
と疑ってみることも必要かもしれませんね