障害者の差別 防ぐには知ることから | 誰もが違うということを前提とした教育にしていこう!

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主に特別支援教育、インクルーシブ教育、ASD、ADHD、LD等について書いていましたが、社会全体が大きく変わってきており、特定した話だけでは答えのない答えを導き出せない時代がやってきたと感じています。そのため何でも思いつくままに書いています。

中日新聞の記事です。

障害者の差別を禁じる法律作りが本格化する。内閣府の専門部会がその土台となる意見書をまとめた。障害者にのみ我慢や諦めを強いるのは人の道に外れる。何が差別なのか。まずそれを知りたい。

障害者の差別禁止法が大事なのは、約百二十カ国が結ぶ障害者権利条約を日本も批准するのに欠かせないからだ。性別や人種による差別と同様に障害に基づく差別を防ぎ、被害を救済する手だてを整える必要がある。

障害があっても普通に学び、働き、暮らす社会にというノーマライゼーションの考え方はだいぶ広まった。なのに、内閣府の最近の調査では約七割に及ぶ障害者が差別や偏見を体験したと答えた。

生きづらさを訴える声が後を絶たない。なぜだろうか。

悪意を抱いての排斥は論外として、端的に言えば、どんなことが差別に当たるのか世間が分かっていないからだ。健常者本位の意識や行動、仕組みが図らずも障害者に不利益や不都合、不便をもたらし得ることにも思い至らない。

障害当事者が加わった内閣府障害者政策委員会の専門部会の意見書はそんな視点から、何が差別かを示す物差しとなる法律を作るよう提言した。差別した人を処罰するのではなく、障害者と健常者の格差を埋めるルールを望みたい。

意見書は条約を踏まえ、差別の形には二つあるとした。

まず、障害があることを理由に健常者とは異なる取り扱いをすること。例えば、精神障害者を飛行機に乗せないとか、盲導犬を連れた視覚障害者をレストランに入れないとかいった行為だ。

そして、健常者と同様の機会や待遇を確保するための配慮を欠くこと。車いすの人が通れるように建物の入り口にスロープを設ける、パニック障害の人が満員電車に乗らずに済むように勤務時間を変える、というふうな工夫をしないと差別と見なされる。

もっとも、相手のさまざまな障害に配慮しようとすれば資金や人手、物品などの負担が避けられない。事業者や個人は持ち出しとなる。でも、前向きに負担を引き受けてこそ支え合い社会に近づく。公的支援が大切だ。

意見書は交通や医療、教育、雇用、政治、司法などの十分野について事例を交えて説明した。だが、法律の条文は抽象的にならざるを得ない。具体的な場面が思い浮かぶような手引が要るだろう。

差別をなくすには差別の実態を知らせ、知る努力が肝心だ。
[2012.10.1. 中日新聞]