2017年5月のことであった。
夜、寝ている時、気がつくと尻の下に20~30cm位ある固体状の塊があった。それはすぐに体内に入ってきて喉のあたりまで上がってきた。そのまま頭頂まで行くのかと思ったが喉元で止まり体から出ていった。このころから時々固体状の物体が会陰に現れるようになった。それと同時に身体のあちこちを強い力で押さえつけられるような圧力を感じるようになった。

 

そんな中の2018年4月だった。私は再び全身を強い力で押さえつけられた。体には強いエネルギー感があり振動もしていた。私がエネルギーに満たされている間、どこからかずっと歌が聞こえていた。その歌声は人のものでも地球上の言語でもないようだった。だが喜びを表現しているものであることが感覚でわかった。何だかわからないが私にとって重要な出来事であるらしい(この時は知る由もなかったがこれは銀河のアクシオトーナルラインとライトボディが接続されたのであった)。


2018年6月であった。再び固い塊が会陰に現れた。その塊は小刻みに振動を始めたかと思うと少しずつ大きくなり振動も激しくなった。1分もすると腰全体を覆うまでになった。振動もさらに激しさを増していった。振動は強いものの不快ではなかったので私はそのまま観察していた。だがその振動する塊は会陰から移動する気配がなかったので私は強引に引き上げてみた。すると身体全体がパンパンに膨れ上がり腰から頭までがビア樽のようになった感覚があり私の身体は今にも破裂しそうだった。

“このように大きなエネルギーを使って私にしようとしていることは一体何なのだろうか”(これは4年後明らかになる)。


その後も時々大きなエネルギーがやってきて私を包んだ。私がエネルギーに満たされている間、私の傍には人?の気配があった。その存在はただ私を観察しているだけであった。高次の存在が私の身体に時々大きなエネルギーを流入させて何かをチェックしているようであった。

 

そして2022年3月7日である。
会陰から頭頂にかけて直径10センチほどのエネルギーの柱ができた。エネルギーはかなり強く、身体には膨満感があった。頭頂から抜こうとしたが全く効果が無かった。当然である。これはクンダリニーではないのである。数年前に会陰に現れた固体状の大きな塊は光の柱をつくるために現れたのであった。この1年後、私はこの光の柱をメタトロンの波動が流れるのを体験する。


「ライトボディの目覚め」(大天使アリエル&タシラ・タチ-レン著/ナチュラルスピリット、以下「本書」)によれば頭上20センチくらいのところから足下20センチくらいまで身体の中心を貫いて直径10センチほどの光の柱が真っ直ぐに走っているという。この光の柱の中心を直径4.5センチほどの光のチューブが走っておりこれがプラーナ管である。


頭上20センチの場所には第8チャクラがある。銀河(恒星や惑星)のアクシオトーナルラインは第8チャクラでライトボディのアクシオトーナルラインに連結される(アクシオトーナルラインについてはこの後述べる)。
第8チャクラの位置から5センチほど前に出たところにアルファチャクラがあり、足下20センチの場所にオメガチャクラがある。
このことから光の柱と第8チャクラ、そしてアルファチャクラとオメガチャクラは関係があるらしいことがわかる。


さて本書によるとライトボディにはアクシオトーナルライン、アクシアル循環システムという五次元のエネルギーシステムがある。アクシオトーナルラインは肉体における経絡のようなもので肉体の経絡に沿って走っている。アクシオトーナルラインを流れてきたエネルギーはアクシアル循環システムによって全細胞に染み渡る。
そしてアルファチャクラとオメガチャクラは銀河の高次元波動を調整して身体に適合させるともに七次元のライトボディを保持する等の機能を有しているらしい。
 

尚、本書によれば第8、第9チャクラは銀河アクシオトーナルラインが通過する場所であり、オーバーセルフは第8チャクラからアクシオトーナルラインを介して肉体をライトボディにプログラミングするという。つまり、光の柱はアルファチャクラとオメガチャクラがその機能を発揮するのに不可欠であるということだ。私は数年かけて光の柱をつくっていたのであった。


銀河と体外チャクラ、そして自身の身体が繋がると高次の波動を受信していることを実感する。アクシオトーナルラインは光と音でできているといい、オーバーセルフは肉体をライトボディに変換させるために適した色や音色の振動として伝達するという。実際、私は様々な音を聞く。音によって身体のエネルギー値が覚醒時の様に上昇していくのも経験した。


余談であるが私はこの光の柱を移動したことがある。私は薄暗い空間を重力落下のようにかなりのスピードで落ちるように移動していった。感覚的に1,000メートルくらい移動しただろうか。それでも移動は止まらなかった。実はこの垂直移動中、私は一人ではなかった。私の他にもう一人いた。その人物が何者であるかは全く分からなかった。通常であれば波動で性別は判断がつくのであるがわからなかった。何もわからないことで若干の怖さもあった。言葉も発せずそのまま流れに身を任せているとようやく移動が止まった。すると今度はすぐに上に向けて上昇を始めた。上昇スピードもかなり速かった。今回も二人である。もう一人の人物は私の背後にいた。さっきまで私はその人物に恐怖感を抱いていたがなぜか今、私はその人物の手を握っていた。指はあるが人間の手ではなかった。だが恐怖感はなかった。それどころか手を触れたことによって安心感が生まれていた。手を握ってもやはり性別は不明であった。というより性別は存在していないようであった。一元性の存在だろうか。そういえば以前、私が意識体で体外離脱していた時に自己の肉体を創造したことがあった。この時私は人間の手をしていなかった。

グリッドはエネルギーの流れるルートである。そこを流れるエネルギーが発光するグリッドとして観察される。


既に何度も述べているところであるがあらゆるものが泡構造をしている。もちろん私自身の身体(エネルギー体含む)やチャクラも例外ではない。

プラーナ粒子は集合しその周囲にエネルギー場(のような)空間を形成する。最近、私がよく目にするのがブロッコリ状に集合した粒子を内包する泡構造である。大量に内包された粒子がブロッコリの様に見えるのである。粒子の数が非常に多いためかこれらの形成する泡は幾分歪である。内包される個々の粒子も泡構造をしており、いわゆるフラクタル構造を形成している。

 

ここで“粒子”と言ったが実際は糸状の形態を持つものも多い。粒子は単独で存在するより糸状に連結したほうが安定するのか、もしくは粒子のエネルギー状態によって糸状になるのかはわからない。
この粒子を内包した泡が空間をぎっしりと埋め尽くしている。この泡と泡の接触面をエネルギー(プラーナ)が流れている。これが発光するグリッドとして認識される。グリッドに流れるエネルギーが増加するとグリッドはより太く、より明るく輝くようになる。これは肉眼でも確認できる。太陽光の当たらない薄暗い場所であれば額の前方上部に光るグリッドが広がっているのが見える。
 

プラーナは粒子状(*1)のものと糸状のものの2種類があり両者が共存している。糸状物体は粒子と共に大量に存在しており両者で渦巻を形成してチャクラへ取り込まれる。両者の行動は全く同じであるが時系列で追っていくと糸状の形態を持つものが増えてきている。おそらく糸状の形態のほうがエネルギー的に効率がよいのだろう(糸状のほうが高エネルギー状態であることは確かなようだ)。そうであればグリッドも糸状のプラーナが流れているはずである。

 


ところで目を閉じると目の前にチューブ状の空間が見えるのだがその内壁は360度発光する無数の粒子で満ちている。この光景はまさに銀河のトンネルといった様相である。この光景は数年前から確認しているが最近は一層その輝きを増している。この輝きを増している要因がグリッド構造でありそこを流れる糸状物体である。

私は最初、私の目の前にあるこの光のチューブを球状チャクラの孔ではないかと思ったがどうやらこれはアジナーチャクラの孔らしい(断言はできないが)。この輝く粒子のトンネルを見ている状態で意識状態を変えると光り輝くグリッドが見えてくる。気がつくと今度はグリッド構造に360度囲まれている。この見え方の変化は意識の焦点が泡の内部の粒子に当たるか泡の表面に当たるかの違いである。実際、グリッド構造が見える前に一瞬だが泡構造が現れる。

 


以前、「どんどん小さくなる」で述べたがアジナーチャクラで見ている私(の視点)がどんどん小さくなっている。私が小さくなることによって対象物を拡大して見ることができるようになる。対象物の構造がより明確にわかるようになるのである(*2)。これによって糸状物体の構造が見えてきた。


まず、冒頭で述べたプラーナ粒子の集合体を内包したブロッコリ形状の泡が平面的に集合し、これがきし麺の様に紐状の形態を形成する。そしてこのきし麵状の紐が2本で対を成して互いに螺旋を巻いてできている。糸状物体は二重螺旋構造であった。

糸状物体は非常に明るいのでその色は白一色のように見えるが、粒子レベルでは様々な色を持っている。一般にプラーナは生命エネルギーと言われるがそれはプラーナの持つ一面に過ぎない。プラーナ粒子はその振動状態で色を変える。私の経験では体外チャクラの色と同じなのでそれぞれの体外チャクラからその振動数のプラーナが流れ込んでいるようである。例えば次のような色であるが第14チャクラの白はまだ経験がない。それとも気づかないだけか?
 

第8チャクラ:ゴールド
第9チャクラ:シルバー
第10チャクラ:コパー(赤銅色)
第11チャクラ:ターコイズ
第12チャクラ:ピンク
第13チャクラ:ハニーゴールド
第14チャクラ:白(クリスタル)

(*1)粒子といってもフラクタル構造をしているのでどのレベルのものであるかはわからない。粒子も拡大して見ると泡構造をしておりその中に粒子がある。
(*2)私が小さくなるということはそれだけ私の波動が高くなっているということだろう。私の振動数が上がっているのである。

先日、ユーチューブにアセンションの第一波が完了したというチャネリング動画があった。私は“ふーん、そうなのか”と思った。気づかなかった。

 

この情報が元になっていると思うが自分が選ばれなかったことにショックを受けている人が少なからずいるようだ。

アセンションについて私はそれがどのように為されるのか知らないが私自身“こういう方向で進むだろう”と思っているものがある。

 


バシャールはこの世界についてひとつの世界が継続して変化していくのではなく世界は瞬間、瞬間に創造されており、この新たに創造された世界へ移行しているという。新たに創造された世界が過去の世界とほとんど変わらないので違いを実感できないのだ。

例えば自分が変わると相手も変わったように感じるのは自分が変わったことによって変化した相手の居る平行世界へ移動したのだという。つまり、相手が変わったのではなく変わった相手が居る世界へ自分が移動したのであると。
バシャールの言っていることは私もよくわかる。瞬間、瞬間とまではいかないが目の前の世界が映画のコマのようになっているのは何となく感じている。実際それを感じさせる体験もしている。

 


基本的に自身の波動が変わると見える景色が違ってくる。これは意識の焦点が当たる場所が違ってくるからである。興味のあるもの(*1)には意識が向かう。これによって自分の周囲にはそれに関連する世界が広がる。興味を失うとそうしたものは目に入らなくなる。すると今までとは全く違う世界が自分の前にある。こうして少しずつ各人の持つ波動によって存在する世界が分離していく。これが二極化である。今はまだ対極の世界が見えているがいずれ見えなくなる。これはバシャールが言っていることだが私もこれを実感しているところである。


アセンションの第一波が完了したという件について何をもってそのように言っているのか私はわからないが完了したというのならそれは自己の意識が(今はまだ見えているが)対極の世界(以前に居た世界)に戻ることのなくなった人々、つまり自己の意識が対極の世界から完全に分離した人々のことを言っているのだろう。決してアセンションは別次元にワープすることではない。もしそうなら子供たちは皆消えていなくなっている。


アセンションする人(した人)はアセンションには執着していない。なぜならそれが普通の状態だからである。残念ながら自分が選ばれなかったことにショックを受けている人はアセンションしていない。

(*1)興味のあるものに限らず意識が向くものすべて同じ(ネガティブなものや執着のあるもの等)。

すべてを自然の流れに委ねて生きることがすべてでありそれ以外何もない。


私はこの生き方を体得すると願望実現や引き寄せの法則といったものに全く興味がなくなった。今は何かを欲するということはない。必要なものは必要とするときに必然的に私の元へやってくるからそれに任せておけばよいという見方もできるがこれは結果論である。結果的にそうなるのである。その状態を目指してもそうはならない。

すべてが自然の流れの中で進んで行く。だから私はその流れに乗るのである。

 

 

そしてわかったことがある。

“こうしたほうがよい”とか“ああしたほうがよい”とか言っているうちはそれらをまだ自分のものにできていないということだ。まだ本質を理解していないのである。

私もよくこの場所でそうしたお話しをしてきた。その時は自身が体験し発見したことを伝えたいと思った。だが当の私はまだそれを自分のものにできていなかったのである。

“自分のものにする”とそうした言葉は決して出てこない。それを他者に伝えようなどと思わない。本能的にそう感じるのである。下にとりあえず理屈を書いたがそれが本当の理由かどうかはわからない。


 “こうしたほうがよい”、“ああしたほうがよい”と聞くとそれが欲になり執着を生む。これでは逆効果である。それが自分の抱える課題に関係しているとどうしてもそれを試してみたくなる。繰り返すがこれは逆効果だ。

すべては進歩の上昇螺旋に乗って自然とできるようになるからそれを待つしかない。何事も互いに関係し合って存在しているのである。その中から一つだけを先に得ようとしても無理なのである。


すべてのことに言えることだがまず自身の波動を高める。自分で体得してその波動を放射する。

もちろん人々がその波動に同調するかしないかはその人次第である。だがこれでよい。これがあるべき姿だ。

しばしば耳にすることだが神や高次の存在たちは人間には自由意志があるからその選択には介入しないという。

その通りなのである。これこそが進歩の上昇螺旋に乗る一番の近道なのである。

ここ何回か「すべてを自然の流れに委ねる」というテーマでお話ししている。実際、それは私の求めていた究極の解答であったのでそれ以上語ることは何もないのである。


私がその解答にたどり着いたということはようやく私にその生き方ができるようになったということだ。

すべてを自然の流れに委ねるという生き方はやろうと思ってできるものではない。そもそも“やろうと思う”ことが自然の流れに反している。進化の上昇螺旋に委ねているうちに自然とできるようになるものだ。そして私が今、それに気づいたということだ。


 

思い返せば私の人生は好奇心というより執着に基づいて生きてきたと言った方がよいだろう。つまり欠乏感である。それはスピリチュアルに関しても同じである。

スピリチュアルを求めるベースになったのも執着だ。今居る世界と違う世界の存在を知り、その世界に憧れを抱きそれを特別視したことによって執着が生まれた。もちろん好奇心によるところも多分にあったと思うが執着はそれを遥かに凌駕していた。

願望実現、引き寄せの法則、こういったものに興味を抱いたのもそのベースは執着であった。これがわかったのは私がそれらに全く興味を失ったからだ。興味がなくなったことで私がそれらに執着を持っていたことがわかったのである。


“もし私が全能であったなら” 私は自分自身にこう問うてみる。きっと私はすべてを自然の流れに任せているだろう。全能の私に“欲しい”という感覚は存在しない。あるのは必要か否か、それだけだ。

人間はもともと全能の存在である。三次元ではその能力の多くを制限されてしまった。これが欠乏感を感じる理由だろう。そして欠乏感は執着を生むのである。