我われは思考が習慣化している。

私のように思考について気を付けている者(*1)であっても知らず知らずのうちに思考している。


思考についてはこの場で何度も取り上げてきた。

私がこれほど思考に触れるのはスピリチュアルに生きる者にとって思考がそれほど大きな問題だからである。残念ながらほとんどの人はこのことに気づいていないように思う。

前回触れたように波動に関しても思考、つまり頭で考えて解決しようとする。だから挫折する。

 

 

思考はこの世界(物理次元)で生きていく上で不可欠なものである。思考がなければ我われはこの世界に存在し得ない。だが物理次元を離れれば思考は不要である。不要であるばかりか障害になる。


前にも言ったが物理次元は仮想空間である。二元性が生む感情を体験するゲーム上の空間である。

思考は物理次元における魂の乗り物である肉体を危険から守るためのアイテムである。それは一種の麻薬でもある。

危険を未然に防ぐこという行為は大きな満足感(という感情)をもたらすのである。これによって人はますます思考に嵌っていく。思考に関連する「努力」という行為も達成感という非常に麻薬的な感情をもたらす。

 


スピリチュアルに興味を持っている人であればこの世界が波動の世界であることは周知のことであろう。

だがこうした人たちであっても思考や努力で波動を変えることができると思っている(ように感じている)。

 

それは仕方ないことかもしれない。なぜならこの世界にはプラス思考やポジティブシンキングといった言葉がある。実際にそれらには効果がある。


だから「隣人を愛せよ」と言われば努力すればできるのではないかと思ってしまう(かもしれない)。ポジティブな思考は物理次元を生きる上でとても良いことである。これは間違いない。だが隣人を愛することとプラス思考ではベースとなる次元が違う。

隣人を愛することは単純な波動(個別波動)の問題ではない。波動の総合的な底上げによってのみ成し得るものだ。ボートの上で少し背伸びをすれば手の届く果実を取るのとはわけが違う。


前回のテーマである「急がば回れ」も総合的な波動の問題であり、そうした波動は思考でどうにかなるものではない。

一朝一夕に変えられるものではないのである。だから「急がば回れ」なのである。地道に意識を自己の内側に向け続ける。これしかない。外側の世界(目に見える世界)をいくら変えても何も改善しないのは言うまでもない。


だから「実るほど頭を垂れる稲穂かな」であり、自然の流れに身を委ね、その時を待つ。これしかないのである。


さらに付け加えれば五次元世界で求められるのは「今、ここ」である。思考は「今、ここ」とは相容れない。自己の意識が「今、ここ」にある時、思考は生まれない。

そもそも思考は物理次元で形成された信念がベースにある。その本体は精神体にある。精神体の目的は肉体を生かすことにある。精神体にとって五次元へ行くことは死を意味する。精神体は決してそれを許容しない。

 


私は先日、自分の過去の日記を読んでみた。

10年前の私は修行法に悩んでいた。何かしなくてはいけないと背中を押されながらも何をしていいのかわからない。

クンダリニー関連は多くの書籍で文字化されていたがそれから先となるとほとんどなかった。

その中で唯一と思われたのが仙道であった。仙道はクンダリニーを覚醒させてからが本番であった。私は何冊も仙道書を読んだ。だがほとんどが眉唾と思えるようなものであった。本物の仙人は余計なことはしゃべらないだろうから仙人を見た人が後に自分に都合のいいように創作したに違いない。

 

だが信頼できるものもあった。

それは梵の座を開くことから始まる小薬づくり、大周天、出神(*2)、還虚(*3)といった修行のプロセスであった。当時、私は既に梵の座は開き、小薬、大周天まで終えていたのでこのプロセスは信頼が置けた。

だがやり方となると?マークの付くものばかりであった。

今にして思えばそれは当然のことであった。そこから先は完全に波動の世界に入るからだ。内側の世界での修行である。内側の世界で修行ができる身体を作り上げるのがこれまでの修行であった。

当時の私は何も思いつかなかったので結局、瞑想に明け暮れる生活が始まった。だがこれが正解だった。急がば回れである。


出神は陽神という分身をつくってこれを頭頂から出すことである。陽神を意のままに操ることができるようになると時空を超越して存在することが可能となるということだが、私は実際に意識を分離させ、それを頭頂から、もしくはアジナーチャクラの映像の中に入れて異次元世界を訪れている。

最後の還虚は肉体を陽神の波長に合わせていき肉体の振動数を上げてKa(カー)と一体化することを言うようであるが私も実際その方向へ進んでいる。

(*1)思考に気を付けている者は言い換えれば自己の内側の世界を主体として生きている者であり自分軸で生きている者である。
(*2)出神とは陽神という分身をつくり頭頂から出すことである。陽神を意のままに操ることができるようになると時空を超越して存在することが可能となる。尚、陽神は気を練って造る。
(*3)還虚とは読んで字のごとく虚に帰ることで神(大いなるもの)との一体化と言ってもよい。陽神を肉体に戻して肉体を陽神の波長に合わせていくと肉体の振動数が徐々に上がっていく。そして最終的には肉体が気と同じ状態になる。この段階では肉体を持ちながら時空を超越して存在することが可能となる。

つくづく実感するのである。

近道など存在しない。
 

最近は減ったが数年前までチャネリング動画をよく観ていた。

チャネリング系の動画(その他スピリチュアル系の動画を含む)は概ねいいことを言っている。真実である。だがそれは多くに人にとって罠ではないかと私は思っている。

欲を刺激するだけしておいて結局夢叶わずネガティブな信念を形成、強化させて終える。

 

願望実現や引き寄せの方法に限らずアセンションを求めようとするのも欲である。動画はこうした欲を刺激する。

もちろん動画で言っていることは間違いではない。その通りだと思う。だがそれを理解し実践できるのは既にそのレベルに達した人だけだ。動画はそういう人が観て自己確認するためのものと言ってよい。彼らは自らの体験に照らし合わせ納得しポジティブな信念を形成、強化する。

 


冒頭に近道など存在しないと言ったがもちろん、これはどこに目標を定めるかによって変わってくる。目先の欲を満たすだけなら当てはまらないだろう。だが人類のテーマともいうべきアセンションにおいては間違いなく該当する。

物理次元においても例えば自分が一生を終える時に自分の人生に悔いはないと言える状態を成し得るのはこれが当てはまるだろう。

 

先日、「公式を活かす」で私は波動の世界は大きな井戸(円柱の形をした貯水池)のようなものだと言った。

人はこの井戸の中でボートに乗って井戸の壁を修復しながら出口に向かう。壁に穴が開いているとそこから水が漏れて出口から出られない。

穴を塞いで水が溜まっていくとその高さの壁の修復が可能になる。こうして壁を修復しながら少しずつ出口へ向かう。

もちろん、井戸の中が物理次元、井戸を出た先がアセンションした世界である。


壁を完全に修復しないと出口から出られない。どんな小さな穴もそこから水が漏れ出すと穴は大きくなり大量の水が流れ出す。もう水位はそれ以上上がらない。

この小さな穴を見逃さないのが精神体である。精神体はあの手この手を使って我われを井戸の中(物理次元)に留めさせようとする。


実際、私の経験では何が障害(穴)なのかわからない。実際に失敗して初めてわかる。得てして意外なものが障害だったりする。私はHSPだから人から見ればどうでもよいことが大問題だった。自分の中の引っ掛かりを追究していくとそこに行き着いた。障害は人によって異なる。だから一概にこれが障害だと言えないのである。


結局のところ、「急がば回れ」であり、「実るほど頭を垂れる稲穂かな」である。
自然の流れに身を委ね、その時を待つ。意識を内側に向けながらその時を期待せず待つ。これが無条件の愛、無条件の受容を自分のものにする最大の近道である。地道に自己の内側に意識を向け続ける。こうして穴を修復していく。

 

チャネリング動画に惹かれるということは動画で言っている内容が今の自分では不可能なことだからである。果実は今の自分では手の届かないところにある。だから欲するのである。すでに容易に手の届くところにあるならばその動画には何の魅力も感じないだろう。

井戸の例で言えば望む果実が自分のいるボートから手の届かない場所にあることを示している。だからほとんどの人は実践できない(果実を手にできない)。できるのは壁の修復が完了し、水位が上がって乗っているボートから容易に果実に手が届く人に限られるのだ。実際に果実を手にした人は自分がやってきたこと(修復)は間違いではなかったと確信する。

 

概してチャネリング動画は非常にわかりやすく果実の取り方を教える。聞いている方はわかった気になる。だがいざ実践してみると思うようにいかない。応用が利かない。本質を理解していないからだ。だからケースごとにやり方を教えてもらう羽目になる。だが教えてもらってもまたすぐに躓く。これの繰り返しだ。つまり、壁の穴は無数にあるのである。

何故、穴は無数にあるのか? それは問題をはき違えているからだ。修復すべきは個々の課題ではなく自分の波動なのである。波動が変わらなければ何も解決しない。だから無数にあるように感じるのである。

 

我われは誰しも常にハイヤーセルフに見守られ、そして導かれている。だから余計なことをして邪魔をしてはいけない。あれこれ思考などしてはいけない。多くの人は思考によってベストな回答を得られると思っているだろうが思考は安心を得るための行為である。その安心とは肉体にとっての安心である。魂ではない。

精神体は思考を使ってあの手この手で我われを井戸の中から出さないようにする(*1)。そのための手段が思考である。思考は精神体の罠なのである。

(*1)井戸(物理次元)から出ることは肉体にとって死を意味するからだ。

最近、変な夢を見る。通常、夢は変なものだが変な夢がリアルなのである。リアルすぎる。

 

夢と言ったが夢ではない。私が創造した世界であると思っているが数時間の間を置いて再び同じ場所を訪れることも珍しくない。例えば午前2時に訪れて、その後肉体に帰還し、5時に再び同じ場所を訪れるといったものだ。

こうしたことを考えるともともと存在していた世界なのではないかとも思ったりする。どちらが正解かわからないが今のところ両者50:50である。世界は無限に存在するからこうした世界があっても不思議ではない。

 

ここではこの体験をわかりやすくするために「夢」と表記するが実際は夢ではない。

この「夢」の特徴は離脱して異次元世界を訪れた場合の要件を8割くらい備えている。

具体的に言えばフルカラーであり、ストーリー性があり、視野も広く、行動の自由度も高い。そして何より記憶に残っている。

一方、否定する2割はシチュエーションの連続性が100%でないことだ。夢のようなシチュエーション変更が起こることがある。そのほか稀に知人が現れたりする。

 

この体験は夢と体外離脱が融合したものだが体外離脱側に大きく寄ったものである。一つ例を挙げれば次のようなものだ。これは直近の体験である。


「私は夢を見ていた。その夢の世界からジャンプした私は宇宙空間を移動していた。すぐに眼下に小惑星のような大きな岩が見えてきた。だが表面は平らで網目状の模様があった。網目といってもそれはインカの石垣のように大小様々な石が隙間なく組み合わさったような姿をしていた。そしてうっすらと同心円を描いており中心部に向かってスロープ状に凹んでいた。その形状から人工物のようであった。全体像は見えなかったが円盤の形をしているようだ(その時は気づかなかったが今から思えば凸レンズ状エネルギー場の形成する孔のようであった。宇宙はフラクタル構造で満ちているから同じ形態はよく見られるものだ)。

 

私は吸い寄せられるようにその凹みに向かって進んだ。まさに好奇心によるものであった。だが進めど進めど辿り着かない。周囲の風景は変化しているので近づいているのは間違いないのだが。その物体はかなりの大きさを持っているようであった。

私はようやくその物体に辿り着くと岩の中へ入っていった。するとすぐにきれいに磨かれた岩の通路が現れた。気づかなかったがその通路は水で満たされていた。歩いている時、水を感じたのだ。一瞬、呼吸のことが気になったが今の私は何の問題もないことを知っていた。私はそのまま進んだ。すると目の前に階段が現れた。私が階段を数段上ると視界がフェイドアウトしてしまった。

 

肉体に帰還した私は再度トライした。すると再び先ほどの水で満たされた通路に出た。私はさっきの階段を上った。階段はほんの数段で終わっていた。そこは小さな商店街のようなところで狭い通りを何人もの人が行き交っていた。私はその通りを進んだ。その時、私の腰に何かあった。手に取ってみると何かわからないが数十センチの物体で、私はそれを腰からぶら下げていた。私はそれを気にするでもなくそのまま歩き出した(*1)。行きかう人々も私に対して関心はなさそうであった。

数十メートル歩くと商店街は終わり、左手に海が見えてきた。正面に防波堤があったので私はそこに向かって進んだ。防波堤の右側が外海で左側が磯になっていた。数人の人が遊んでいるのが見えた。私も海の中へ入っていった。

 

海水に浸かると私の中に“ある知識”が入ってきた。「私は水を自在にコントロールできる。」というものだった。実際やってみると面白いように水が私の意識に反応した。巨大な波も簡単に創れた。私は水をコントロールしながら磯を歩いて対岸へ渡った。

陸へ上がって少し歩いているとまた別の海が見えてきた。私は数メートルの高さの崖の上に居て、その下が海になっていた。崖から覗くとたくさんの茶色の海藻が波に揺れていた。

 

崖を降りると左手の岩場のところを人が歩けるようになっていた。そこを歩いていると自分が全身を茶色の毛で覆われていることが分かった。身体もずっと大きくなっていた。その時、力がとても強くなっているという知識が入ってきた。

 

私は近くにあったコンクリートの塊を両手で押さえつけた。すると簡単に粉々に砕けた。数メートルはあろうかという岩も同じだった。ここで視界がフェイドアウトし私は肉体に帰還した。

 

この体験の後、時間は確認していないが数時間は経過していたと思う。気がつくと私は橋の上に居た。見下ろすと数十メートルの高さがあった。下は岩盤が広がっていた。

私は自身が離脱状態にあることを確信していたので躊躇することなく橋からジャンプした。昔よくやっていた滑空である。グライダーのようにかなりの距離を自由に飛べるのだ。

 

着地すると私は前回と同じように岩の中に入っていった。すると縦2メートル、横3メートル、高さ2.2メートルほどのコンクリート製の穴の中に出た。手を伸ばすと指の先が穴から出た。穴から出ると私の腕に茶色の毛が指先から体に向かって生えてきた。私は服を着ていたが関係なかった。服も毛に変化していった。私は前に体験した身体になっていた。そして私が居たその場所もその時居た場所の近くであった。」


リアリティの高い体験は体外離脱同様、記憶にも残っている。ほとんど体外離脱と同じような体験ができる。これは私がずっと望んでいたことだ。この体験の意味は分からないが今は娯楽として捉えている。


(*1)これが物質界と異なるところである。そうしたことは全く気にならない。本文で出会った大きな岩を「インカの石垣」だとか「人工物のようだ」と言ったがその時は何とも思っていない。見たものを認識しただけである。「物体はかなりの大きさを持っているようだ」と言ったのも同じである。これが「今、ここ」の姿である。

「私はすべてをスピリットに委ね、スピリットが私を動かす。今、私を動かしているのはエゴではなくスピリットである。」

 

先日、こうしたお話しをしたがここでいうスピリットとは何であるか、私はその意味を自覚して使っているわけではない。

「ライトボディの目覚め」(大天使アリエル&タシラ・タチ-レン著/ナチュラルスピリット)でその言葉を使っているので私はそれに倣って使用しているだけだ。ちなみに私は本書にはとても世話になっており人生における最高の書と言ってもよい。本書の内容は私の体験と非常にマッチしているので私の現在地を知ることができる。

 

私自身、スピリットとかハイヤーセルフと言われてもわからない。当然、両者の違いなどわからない。

ただ私が思っているのは(合っているかどうかは別にして)スピリットは魂に内在する根源(創造主)の本質であって根源と一体化している。我われは根源から分化し波動を下げた魂であるがその本質の部分では根源の本質を有している。

一方、ハイヤーセルフは根源から分化した魂における高次の私であると理解している。

だがこんなことはどうでもよいことだ。(今の私にとって)一元性の観点で言えばどれも同じである。これから6次元、7次元と私が波動を上げていく中でその違いがわかってくるかもしれない。

 


とりあえず高次の私をハイヤーセルフとするとこのハイヤーセルフは大勢いる。もしくはハイヤーセルフはいろいろなレベル(波動)に対応している。

(※上でも述べたがそもそもこうした思考はナンセンスである。一元性の世界ではすべては一つであり同時にすべてなのである。私として心苦しいが一元性の視点でお話しすると理解しにくいと思うのでここでは二元性の視点でお話しする。)

私の体験ではハイヤーセルフは大勢いるがすべて物理次元の私を導いてくれる“私自身”である。こうしたたくさんの存在の中からその時の私に必要な“私”が私の前に現れる。

なぜそう思うかと言うとこれまでずっとそうだったからだ。

 

そしてなぜそうした存在が“自分”だとわかるのかと言うと実際に触れあうとわかるのである。触れた手から伝わる波動は私自身である。これは間違いようがない。

しかし、そのすべてが“私”だとわかるわけではなく、むしろわからない方が多い。さらに言えば最近は“私自身”と確信できる出会いは皆無である。

 

そうした“私”とよく出会っていたのはもう昔のことだ。それは私が頻繁に体外離脱をするようになった頃だ。当時は体外離脱時には必ずと言ってよいほど“私”が横に居て、私を見守り、私を導いてくれた。おそらく新たな世界に初めて足を踏み出した私をサポートしてくれていたのだろう。

私が肉体から離脱できずにいる時はアストラル体レベルの私を肉体から引っ張り出してくれたことも何度かあった。

ちなみにこれに関して補足するとこうした状態は金縛りの時に多い。金縛りは霊的な存在との接触の機会なのである。金縛り経験者ならわかると思うが金縛りには前兆がある。概して前兆が始まると恐怖で身体を硬直させてしまう。だがこの時、全身から力を抜いてリラックスすると霊的存在が離脱を誘導してくれる。そしていろいろなところへ案内してくれる。

 


ではハイヤーセルフと繋がるにはどうすればよいか。結論を言ってしまえばエゴが消えれば必然的にハイヤーセルフと繋がった状態になる。では一般的にはどうかと言うとハイヤーセルフは純粋な愛であるから繋がっている時は心地よく、温かく、調和している感覚を得る。そしてハイヤーセルフからの言葉は波動で伝わる。その波動が物理次元の私に伝わるとワクワク感や情熱として翻訳される。これはバシャールがよく言っていることだ。


ではハイヤーセルフと交信するにはどうするか。それには波動を使う。言語では伝わらない。これを誤解している人が多いのではないか。言語(言葉)では決して伝わらない。だから思考してはいけない。

 

ハイヤーセルフにこちらからアクセスするには波動を使うのであるがでは具体的にはどうすればよいのか。

これは波動の世界全般に言えることなので願望実現を例に挙げるとわかりやすいかもしれない。


例えば新しい家が欲しい時どうするか。

絶対にやってはいけないのが家を具体的にイメージすることである。こういうリビングがあって壁には大型テレビ、ベージュの革製ソファーとガラスのソファーテーブル、ダイニングテーブルは木製の一枚板。

多くの人が具体的であればあるほど具現化に有効だと思うかもしれない。だが実際は逆である。なぜ具体的にイメージすることがいけないのか。
意識(波動)が純粋なエネルギーとしてその力を発揮するのは常に「今、ここ」でなければならない。具体的イメージは「今、ここ」とは相容れない。つまり、創造(交信)のための波動が形成されない。そもそも具体化の過程には思考がある。具体化=思考である。思考が働いた時点でハイヤーセルフとのチャネルは遮断されてしまう。


先日、バシャールの公式や引き寄せの法則等を実践するならば簡単なものから始めるとよいと言ったがこれと同じである。ご飯のおかずにもう一品おかずを加える。この程度に留める。現状に不満があってはならない。不満がなければ執着は生まれない。執着がないから欲しいものを具体的に事細かくイメージすることもない。ただ漠然と“こんなものがあったらいいな。”この程度でよいのである。この状態が「今、ここ」である。これが重要なのである。これがノイズのない波動(純粋なマインド)をつくる。

思考を働かせずに意思だけを伝える。これによって私の意思(マインド)はハイヤーセルフに正確に伝わる。そしてハイヤーセルフにとってはこれで十分なのである。

「家」の例もそうだが具体的なイメージをするのはそのものに執着がある。執着があるからあれこれ思考する。執着がある限り具現化は不可能だ。よって人はコツコツと努力を重ねるのである。努力は欲を満たすためにある。これ以上でもこれ以下でもない。努力とはそういうものだ。満足感という感情を得るための物理次元専用のアイテムである。


ハイヤーセルフと物理次元の私では創造のパワーが全く違うように見えるがそれは物理次元の私が自分を過小評価しているからである。これも自我が関係している。普通、人はそのように思考するようになってしまっている。

自分には無限の力があると思う時点で自分を過小評価している。過小評価がこうした思考を生む。無限の力を自分のものにできていればこのように思うことはないのである。


物理次元の私のパワーは限定的であるがハイヤーセルフは違う。だからすべてをハイヤーセルフに委ねる。そのためには余計な思考を入れず意思だけを伝える。物理次元の私はその意思を思い描くだけでよい。この状態は写真や絵を見た時と同じだ。何の先入観もなく写真や絵が目に入った状態。これでよい。
そうすれば強力なパワーが具現化に向けて動き出す。だがここで重要なことがある。具現化は私にとってその時に必要なものだけが具現化されるということだ。欲しいものは具現化されない。必要なものだけが具現化される。必要なものが必要な時に必要なタイミングで具現化される。必要だと思っていてもタイミングが合わなければ具現化は起こらない。私はこのことを知っているから具現化が起こらなくても何とも思わない。

少し横道にずれたが、例えば私は壁に孔を開けて五次元世界へと抜ける。この時、私は波動調整としてトンネルを進む。トンネルを進むに当たって思考は禁物である。私の意思は「孔に入る。」「孔を進む。」「孔から出る。」これだけだ。それ以上だと思考が生まれる。つまり、「今、ここ」ではなくなってしまう。思考が現れると孔から出られない。波動調整ができないのである。これは波動におけるすべてに共通することだ。

これが創造(具現化)に必要なことであり、波動の世界の姿だ。これは当然にハイヤーセルフとのアクセスにも求められることである。


五次元以上の世界にあるのは「今」だけだ。「今、ここ」でしか意識(マインド)はその力を発揮しない。つまりコミュニケーションできない。思考は意識を「今、ここ」から離れさせてしまう。思考が生まれなければ意識は常に「今、ここ」にある。
このためにはすべてが簡素でなければならないし、簡素なもので十分なのである。


右(左)へ曲がる。
上から下に垂らす。
大きくする(小さくする)。
明るくする(暗くする)。
こんな感じだ。
 

また、創造においては、
山、川、木、etc.
山とか川とか木は具体的にイメージしてはいけない。漠然と思えばよい。細かいことは具現化した後に修正すればよい。


五次元以上の世界では「創造」を“意識”しない。“意識”すれば「創造」はできない。五次元以上の世界は意識したこと(マインド)が瞬時に具現化する。これが当然の世界だ。純粋な意識状態で思い描く。何も思考せず思い描く。これで創造は完了である。そうしただけでそのものが“当然に存在している”という状態を創り出すのである。これが波動の世界である。よってハイヤーセルフとのコミュニケーションには純粋なマインドが不可欠なのである。いかにして純粋なマインドを創るか。それは「今、ここ」の意識状態である。そしてそれは常に簡素である。

毎日というわけではないが最近、また壁(*1)を見るようになった。壁が消滅しつつあるのを知っていたので見る回数が増えたことを不思議に思っていた。

 

だがこの壁は私がこれまで見ていた壁ではなかった。それは壁を見たいという私の意識が創り出したものだった。私はしばらく壁を見ていなかったので今も存在するならまた見てみたいと思っていた。それと同時に同じように壁を抜けて五次元へ出られるのか試してみたかった。こうした思いが私に壁を創らせたのだった。

 

これに気づいたのは最近のことだ。事の経緯については省略するがそれは偶然の出来事だった。最近、私が見ていた壁は以前の壁とは全くの別物であったのだ。それと同時に私は壁を簡単に創れることも知った。

 


さて、その壁の存在する場所であるがそれは円盤の孔の上(孔の正面)であった。以前の壁は円盤の盤上にあった。盤面がホログラムのスクリーンとなって壁を創っていた。
 

本題に入る前に少し補足させていただく。
まず身体の中心をプラーナ管という光のチューブが走っている。頭上の7つの体外チャクラはこのプラーナ管を軸に連なって存在しており、それぞれのチャクラで取り込んだエネルギー(高振動プラーナ)はプラーナ管を通って体内に送られる。それぞれのチャクラは異なる波長を持っていて取り込まれたプラーナはチャクラ毎に異なる色をしている。例えば最初の体外チャクラである第8チャクラはゴールド。キリスト意識を表す第12チャクラはピンクである。


チャクラは凸レンズ状のエネルギー場を形成するので外部から見ると頭上に算盤の珠のような円盤が並んでいるのが見えるだろう。


次に目を閉じると必ず正面に発光する粒子の渦巻がある。この渦巻の向こう側には無数の発光する粒子に満たされた円盤がある。この円盤は凸レンズの形をしておりチャクラで間違いないだろう。

ではどのチャクラかと言うとこの円盤を通り抜けると二元性が消えること、このチャクラは体内にあって、しかも私の居る松果体の正面にあること等を考えればクラウンチャクラで間違いないだろう(*2)。


クラウンチャクラの形成する円盤の中心にも他のチャクラ同様、孔が開いており、ここを光のチューブであるプラーナ管が走っている。目を閉じた時に私は特に意識しなければ常に円盤の孔を正面に見ている。

円盤の孔からは発光するプラーナ粒子が高速で出たり入ったりしている。プラーナが循環しているのである。ちなみにプラーナの流れは呼吸で変わり、息を吸うと孔からこちらに向かってくる(体内に入ってくる)。吐くと孔の中へ入っていく(体外へ出ていく)。こうしてプラーナは循環する。
 

 

ここから本題に入るが、
その日、私が目にした壁は板状結晶のような角錐台(台形状の立体)が一面に広がっていた。大小様々な角錐台が複雑に連結し又は重なり、立体的な壁をつくっていた。私はその壁を極間近で見ていた。壁の模様はその日によって異なり以前のように特定の模様が連続して現れることはほとんどなかった。

私はプラーナ粒子で渦巻をつくって壁に孔を開けようとした。だが孔はなかなか開かなかった。孔がすんなり開かないのも最近の壁の特徴であった。それでも根気強く続けていると何とか孔を開けることができた。私は早速、孔の中へ入っていった。するとすぐに出口に着いた。以前のような岩のトンネルはなかった。

 

出口を出るとそこは漆黒の空間であった。その真っ黒な空間に入ると私は自動的に進み出した。その時、突然、静寂に包まれた。気づかなかったがそれまで私の周囲でずっと何かの音がしていた。後に気づくのだがその音は私の部屋に設置してあるサーキュレータの音であった。

 

私は完全無音の漆黒空間をゆっくり進んで行った。すると突然、引き戻されるかのように進む方向が転換した。移動速度も速くなった。またさっきの音が聞こえてきた。この時私は滑るように移動していたがこの感覚は「意識の移動」(*3)と同じであったので私はこのまま進めばどこか(の世界)に出るだろうと思った。ところが私は暗闇の中で停止してしまった。

そこは真っ暗な空間であったがぼんやりと空間の形状が確認できた。私が居たのは何もない大きな四角い箱の中であった。音は依然聞こえていた。私は何か変化が起こるのを待ったが私はすでに自分(意識)がもう肉体に帰還していることがわかっていた。

私はこのまま待っていても何も変化は起きないことを悟り肉眼の目を開けた。すると箱型の空間と私の部屋がぴったりと重なった。その箱型の空間は私の部屋であった。部屋にはいろいろな物が置いてあるが箱型空間は何もないただの空間であった。

 


さて、私は最初、この体験の意味が分からなかった。だが少しずつ分かってきた。私が壁の孔に入り、すぐに出口から出たがこの出口はクラウンチャクラの形成する円盤の出口であった。本来であればそこには五次元の世界があるはずだが私はプラーナ管の内部を移動していたので出口を出た先はプラーナ管の内部であった。真っ暗で何も見えなかったのはプラーナに意識の焦点が合っていなかったからだ。私は流れるプラーナに乗って移動しているのであるから、もしプラーナに意識の焦点が合っていれば移動中に私の周囲に眩く輝くプラーナを見るはずだ。だから何もない空間として私は認識していた。そして次の瞬間、プラーナ管の内壁面を流れるプラーナに乗ってさっき来た道を戻ったのであった。


私が壁(円盤)の出口から出るとサーキュレータの音が聞こえなくなったがこれは次元が切り替わったことによるものだろう。そして帰還途中の「意識の移動」中にサーキュレータの音が再び聞こえてきたのであるが私の意識が五次元を抜けた途端に音が聞こえてきたということは四次元と物理次元は次元的にはほとんど違いはないということだろう。実際、ほとんどの人は死後、余ほどのことがない限り黙っていても四次元アストラル界へ行く。三次元物質界と四次元アストラル界が共に物理次元と言われる理由の一つであろう。


(*1)壁は四次元と五次元を隔てている。この壁を通り抜けると五次元へ出られる。壁は異なる波長の世界間にある緩衝帯であり私はそれを壁として認識する。この緩衝帯で波長の調整(次元の調整)をするのである。


(*2)体内の7つのチャクラは一体化して球状チャクラを形成している。もう何年も球状チャクラを見ていないが以前、球状チャクラを見た時は大きな球体があってこの球体の上部にデススターを思わせる丸いくぼみがあった。くぼみの大きさはデススターよりずっと大きいがこのくぼみにクラウンチャクラの凸レンズ状のエネルギー場が合わさると完全な球体を形成する。当時はこれが球状チャクラの形成途中の姿だったのか、球状チャクラを構成する一部としてクラウンチャクラがあるのかはわからなかったがどうやら球状チャクラを構成する一部として存在しているようである。 

 

(*3)「意識の移動」というのは体外離脱の一パターンである。私の感覚では肉体との接続が強く残った状態で意識だけが離脱するもののようだ。通常、仰向けに寝た状態で自分(の意識)が頭頂方向に向かってスライドして移動する。少し水平移動するとすぐに下に向かって落下するように移動し、その後再び水平移動に移る。移動速度は感覚的に時速30キロ前後である。落下時は時速100キロ以上に感じる時もある。落下から水平移動になると徐々に速度を落とし着地する。着地場所は様々である。最初の頃は移動開始からずっと目(意識)を閉じていたので周囲の景色を見ることはできなかった。目を開けると肉体の目が開いてしまいその場で肉体に帰還となるからである。その後、目を開けた状態で移動することも多くなった。最初から周囲には景色が現れている。
「意識の移動」において“移動している”と感じている状態は次元調整である。「意識の移動」によって同調しているわけだ。