二か月ほど前のことだが久しぶりに絵画の世界に出会った。そこは立体空間であったが私の目の前には緑で覆われた大きな山々が連なっていた。かなり忠実に再現されていたが生命の発する息吹は感じられず私は上空を飛びたいという衝動は起きなかった。

そこで実物化しようといつもやっている方法で目の前の景色全体を手で大きく払った。ところが全くと言ってよいほど変化しない。私が何度か繰り返していると振り払っている自分の手が見えた。なんと私の手も絵であった。よく見ようと手を顔の前に持ってこようとしたが視界の斜め下にある手はそこから動かなかった。


手を払うということは私は自分が肉体の形状を保っていると思っているからだ。実際、私は肉体の形状を保っているという感覚があった。であれば手は動くはずだが何故動かなかったのだろう。否、動かなかったのではなく私は手を動かせなかった。

見た目の状態が何であれ自分の手であれば動くはずだ。だが考えてみれば景色を手で払う時、私は腕を身体の前に大きく出している。なのに私はこれまで一度も自身の腕や手を見たことがないではないか。

この時私は肉体の形状を保っていると思っていたが意識体で存在していたのだろうか。私の経験では意識体であれば自身が球状になっている感覚になるはずだがこの違いはどこから来るのだろう。
これこそ体外離脱ではなく私が意識だけを飛ばしている状態なのだろうか。そういえばこのことを裏付けるような体験を私はこの後している。

私はその後も絵画状態の景色を手で払い続けた。すると緑の山の後ろにヨーロッパアルプスやヒマラヤのような雪をかぶった大きな岩石でできた山々が現れた。私からかなり離れていたがそれは実物だった。私はそこへ行ってみようと意識をその山に向けた。

するとどうしたことか山のある前方ではなく後方に後ろ向きの状態で引っ張られるように移動を始めた。すぐにスピードは上がり飛行機を思わせる速さで低空を移動した。峡谷や田園地帯、街と周囲の景色は目まぐるしく変わった。それらの景色はすべて実物であった。高速で低空を移動する体験は初めてであった。非常に楽しい体験で私はそれを楽しんだ。その時私の意識は楽しむことだけであった。

この飛行体験はひとつの楽しい出来事として記録された。この時はそれで終わった。

 

だがこの一カ月後、私は再び後ろ向きに引っ張られる体験をした(*1)。強力なゴムの力で引っ張られるような感覚は全く同じであった。それは肩甲骨の間から延びる紐に引っ張られていたのだ。我われはオーバーソウルと「意識の紐」で繋がっている。そしてそれは肩甲骨の間から延びている。ということは私の意識と私が飛ばした意識もオーバーソウルと同じように“意識の紐”で繋がっているということだろう。
(*1)詳細は「オーバーソウルと私を繋ぐ意識の紐」参照

この手記の中で私は自身の手が白く、そして手の形状をしていたといったがこれは私が無意識の内に幽体離脱を意識しエーテル状の手を創造した可能性も捨てきれない。