前にも何度かお話ししているが私は今年の春先から過去を振り返ることを止め、未来に対してもあれこれ考えることをしなくなった。すべてをスピリットに委ね、今という瞬間、瞬間を感じながら生きている。今から思えばこれこそ五次元的な生き方であった。ただ、残念なことにまだ完全ではない。時々過去や未来を考えている自分がいるのである。

物事を観察しそれを認識するだけという生活を続けていると自身の感情から垢が取り除かれていくのを感じる。そこには過去も未来も存在していないから私の心には何のしがらみもない。自然と心の底から湧き出る感情を素直に表現できる。
五次元以上の世界では過去も未来も存在しない。本来、“意識”はそうした次元に存在するものであるから、この物理次元は“意識”にとってあるべき状態にない。過去や未来を考えることによって一つのものに集中すべき意識の力が殺がれてしまう。過去や未来を思考から排除し、“今”を生きることで“意識”の持つ本来の力が発揮できるようになる(と私は考える)。本来の姿である「意識=エネルギー」を実感するのである。

実は最近このことを強く感じている。それは言葉や文字による効果である。言葉にすることは昔から言霊と言って現実化すると言われているが文字にすることも同様の力があるのである。過去や未来を考えないことで意識本来の力が発揮され言葉や文字にも大きな力が宿る。意識が“今”に留まる度合いが高まるにつれて言葉や文字の力がより強まり、それらによる効果が現れるまでの時間がどんどん短くなっていることを感じる。

言葉や文字にすることによって物事が現実化し、疑問に対する解答が得られるのであるが実はこれだけではない。これらには否定的なエネルギーを浄化する力もある。
以前、私は願望実現の方法として次のようなことを申し上げた。それは、まず“こうありたい”という願望があったなら「望みの対象を心に植え付けること、そしてそれを忘れること」である。潜在意識に願望を植えつたら後はもう関知しない。できれば完全に忘れてしまうのである。その願望に対する執着が消えると、すぐに結果が現れる。結果が現れることによって“そういえばこういう願望を持っていたなあ”と思い出すのである。願望が意識に残っているうちは実現しない。周知の通り、この場合は達成されない状態を意識に刻んでしまっていることになるからだ。


言葉や文字にすることは、願望を言葉や文字にすることと同じだが言葉や文字にする方がより強く自身の潜在意識に刻みこめる。だから言葉や文字にするときはそれに執着があっては意味がない。何の見返りも期待もせず、さらけ出すことが必要だ。自分も他人も恨んだり妬んだりせず、思考も感情も入れず、ありのままの事実を外に向かって表す。これは今の自分を受け入れることでもある。こうして無条件で自分を受け入れれば(それに対する執着を捨て去れば)否定的エネルギーは消滅する。それが願望であれば実現のための歯車が回りだす。
理屈を述べればこのようになるが、今という瞬間だけに生きることを選択すれば余計な思考や感情が入り込む余地はないのである。

私はブログがそのための良いツールだと思っている。不特定多数の方にありのままの自分をさらけ出し、文字に落としたらそのことについては関知しない。ほとんどは頭から消えている。これこそ今の私の生き方である。
こうしたこともあってブログを始めてから様々な疑問点が解消された。例を挙げればきりがないが体外離脱時の人間の創造もその一つだ。今年3月に私は体外離脱状態で遭遇する絵画状の世界は創造の青写真かもしれないと述べた(「絵画は創造の青写真か」参照)。そしてその時、もしそうであれば人間も創造できるのだろうかという疑問が湧いてきた。
そして私は7月に実際に人間も創造できることを知った(「美しさを感じる理由」参照)。さらに10月には「絵画=青写真」を肯定する体験が未だ続いており否定する体験が一度もないこと。そして絵画状物体だけでなく存在するものすべてがプラーナ粒子によってホログラム的に創り出されているらしいこともわかった(「絵画は創造の青写真か-その二」参照)。
そしてこの絵画状物体の実物化はさらなる展開を見せる。私がその都度疑問に思ったことが次々に解決されていった。先日の「夢と体外離脱と現実」では私が夢でも体外離脱でもない両者のハイブリッドタイプの体験が中心になっていることを述べた。夢特有の状態(次から次へと変化する場面、一つの場面でも内容が支離滅裂、視界が狭い等)から突然、支離滅裂性が消え、ストーリー性を有した場面へ転換する。そして私は物質界へチャクラを通して帰還する。この過程は夢から体外離脱への移行のように思える。突然の移行が理由かどうかはわからないが移行した世界がまだ完成されていないことが多々ある。その世界が絵画状態なのである。こうした体験は過去に何度も経験していたが自らの意思で実物化しようと思ったことは一度もなかった。そうした考えが意識から消えてしまっているのである。だが、今月5日のことであった。私は夢から体外離脱状態へ移行後、自分の意志で初めて絵画状態を実物化した。そして私が夢と体外離脱の間を何度も行き来していることも確認したのである。


アジナーチャクラに現れる様々な図形もそうだった。中でも凸レンズ型トーラス構造物体は8月26日に木質状の車輪状物体が現れ、翌27日はプラーナ粒子で満たされた回転する無色透明凸レンズ状物体、28日は凸レンズ状物体の拡大映像、31日には色が無色から緑色となり凸レンズ状物体はチャクラのように回転方向を変えるとともにその全体像を向きを変えながら私に見せてくれた。たった6日間の出来事であった。その後は今日に至るまで凸レンズ状物体は一度も現れていない。これは私に人体と宇宙の類似性、そして宇宙の構造を見せてくれたのかもしれない。

否定的エネルギーの浄化もあった。「古い感情の浄化」で私が不愉快な夢を多く見るようになったと申し上げた。モノが無くなったり、常識ではあり得ないようなトラブルに巻き込まれたりとその内容はあまりにも理不尽で常識では到底考えられないものばかりだ。こうした夢が数年前から始まりこの手記を書くころには頻発していたのであるがこの手記を投稿した後は、この類の不愉快な夢を全くと言ってよいほど見ていない。私がその夢の意味をあれこれ考えたりするのを止めたことも一因であろうが、文字にしたことが大きいと思っている。