翌日の日曜日にトウヤを呼び出して、リカが出かけたのはあの竹森波子のマンションだった。もちろん情報は「出会い系サイト」で入手した。世の中にはしゃべらずにはいられない人間が星の数ほどいるのだ。彼女の知り合いか警察しか知らない情報も、いとも簡単に手に入れることができるのだから。
問題なのは出会い系サイトだけに、デートをしてくれという注文が殺到することだ。もちろん丁寧にお断りした。
管理人によると竹森波子は独身を貫くつもりだったのか、財テクのつもりだったのか自分のマンションを金融公庫のローンを使って購入していたという。教師だったから頭金もかなり持っていたのだろう。そんなところが弁護士の母親と重なった。安いところを選んだのか部屋は一階だ。だが捜索するには人目につかなくていい。
リカは竹森波子の部屋の前で、立ちすくんだ。玄関ドアには「人殺し」「悪魔」「教師の恥さらし」といった中傷のビラが重なるようにして、貼られていた。
「うちよりひどいね」「誰もいないからさ」
郵便受けには五日分ぐらいの新聞がたまっていた。このまま配達しても払う者はいないし、仕方がないと判断したのだろう。
まだ家族がなんの手を付けていないのか、表札もつけられていた。ポストにはあの事件の翌日から月末までの新聞が、永遠に帰らぬ女主人を待っていた。リカはドアのまわりをじっとみて、「ない」と一言言った。しかしコンクリートの床にうっすらとついた正方形の模様をみつけて笑った。
ノブをまわす。もちろん施錠されたままなので、びくともしない。主人に忠義を尽くしてかたくなに侵入者を阻んでいた。
「一体どうするんだよ?」
携帯電話で呼び付けられた上に、まだ探偵ごっこをやめようとしないリカに、トウヤはもう辟易していた。そして開かずのトビラの前で立たされていた。住人たちの視線を気にしながら、まるで遅刻して廊下に立たされている生徒のようだった。
「ふふん、ここはリカちゃんにまかせてよ。ここまできて帰れないもんね」
「いき遅れの女の部屋なんか、家宅捜索してどうすんだよ。鑑識道具なんて何も持ってねぇぞ」
鍵穴を覗き込むリカの見下ろしながら、トウヤは腕を組んで住人たちの視線を探していた。
「いくら生徒を殺しちまった教師の部屋でも、勝手に入ると不法侵入だろう?」
「大丈夫よ。彼女は一人暮らしだったし、しばらくは誰も気づかないよ。バレたって訴えられないもん」
リカの意志は何事にも動じない。今は探偵ごっこに夢中になっていた。家出常習犯のリカのどこにこんなパワーがあるのだろうと思う。きっとそうしていれば彼女の良心が安息するのだろう。トウヤは黙ってこのまま彼女に付き合うことにする。行くところまで行かなければ彼女の暴走は止まらない。あきらめるまで静かに見守る。
開かずのトビラの前で彼女が取り出したのはなんとピッキングの道具だった。細い道具を鍵穴に差し入れ、探るように動かす。プロの鍵師が使うピッキングの道具だった。
「お前、そんなものをどこで! まさかお前って空き巣の常習犯じゃ?」
「まさか! こんなもの今時秋葉原で買えるよ。特殊な雑誌じゃ通販やってるし」
「さすがコギャル。ちまたの情報には詳しいよな」
「これも「出会い系サイト」で手入れた情報だよ。完璧でしょ。メールさえ打てればOKなんだ。そうそう、あのあたしんちに侵入した男も、こんな手を使ったんだよ。ほんと、世の中物騒だね。気をつけなきゃ」
ここの住人がいま警察の拘置所にいて留守だからいいが、リカのやっていることが世の中を物騒にしていることに、彼女は気づいているのだろうかとトウヤは苦笑いをした。
素人のリカがちょっといじっているだけで、ドアは簡単に開けられた。これでは空き巣に誰でもなれる。テレビでも素人がでたらめに動かしているだけで開けていたといった。学校をさぼった日にはこんな番組ばかり見ているらしい。簡単に開いたところでさっさと彼女は入っていった。躊躇も遠慮もなにもない。カバ並みの心臓だ。するとポケットからゴム手袋を出してきて、トウヤに渡した。
「手回しがいいね」「指紋残すとヤバイでしょ。これは通販で買ったの」
コギャルはやはり侮れない。トウヤはするりと手術用とみられる手袋をはめた。長い指先まできっちりといれた。これだけで犯罪者になった気分だった。
部屋は一階ということもあって、カーテンごしに昼だということがわかるだけだ。ここが殺人者の部屋だと思うと、足元から冷気が上がってきた。背中にからみつく。
彼女の生霊が警察から戻ってきていてここに住み着いているようだ。女の高笑いが空気を震わせている。トウヤは震撼した。
目を閉じるとぬっと波子が凶器を持って出てきて、襲いかかってくるような錯覚に襲われる。そのとき彼女はなんというだろうか。「あの子が悪いのよ」そういうのだろうか?
電気をつけたら、侵入がバレるので薄暗いなかでの捜索になった。
「で何を探したいんだ?」「パックよ、パック。お父さんと加賀谷仁志を牛乳が結びつけたのなら、竹森波子も結びつけてみせる」
「パック? 強引なやつだな」
「牛乳のパック。お父さんのリュックに入っていたと同じパックを探すの」
「でも外には配達用の牛乳箱がなかったぞ」
「箱なんかないのよ、ここはきっと外においておくだけなの。コンクリートの床に跡があったでしょ。探して!言い訳しないで。あ、トウヤ、引き出し開けて下着なんかかぶっちゃだめだよ」
トウヤはリカに一睨みされた。そんな節操のないことするかと思いながら、いき遅れた女教師がどんな下着をつけているか気になった。ベージュとか白だったら当たり前すぎるが、ピンクや紫だったら面白い。「欲情の女教師」なんてアダルトビデオのタイトルのようだ。そんな男らしい発禁ものの夢想で、いつのまにか頭の中を一杯にしていた。引き出しをかたっぱしから開けたい欲情を抑えながら、しかたなく家宅捜索に参戦した。
もしもリカに彼の思考をのぞく能力でもあれば、半殺しにでもあいそうだと思った。
しかし目につくところにパックはなかった。第六感を使って。リカは猟犬のように、執拗にパックを探す。トウヤはのんきにポケットに手を入れて、どうでもいい部屋の隅やあちこちを覗いているだけだ。彼女のパックへの執着心は尋常ではない。ガキじゃあるまいし牛乳パックを血眼になって探せるかという気分だ。
廊下に面した部屋にはやはり投石された石と、割れたガラス片が散らばっている。
どこにでも同じようなやつはいる。
部屋には意外に家具が少ない。生活において無駄なものが、一切なかった。女性ならば男が見てくだらないといったものを、集めたりすることがあるものだ。ぬいぐるみや花、置物などがあるものだが、それが一切なかったのだ。だしっぱなしになった服や醤油差しなども一つもない。居心地が悪いくらいに、ここには生活臭がなかった。単身赴任のビジネスマンの部屋でも、もう少し色気がある。
醤油は冷蔵庫にしまってあった。彼女はそういういい加減さが許せない人間なのだ。そういうふうに作られた女だった。波子が綺麗好きだったのか。きっと無趣味で人間的にはつまらない人間だったのだろう。