月と太陽の果てに(第2回) | ★田舎者はどこにも書いていないことで抹殺される★いいねをよろしく★人生はホラー映画★ 投稿は不幸★

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「月と太陽の果てに」(第2回)

 アショーカの家はレンガを土で固めただけのような箱に、木々を重ねたような屋根。その上には何枚も板切れや布がかぶせてあった。ここが彼女の今夜の宿になるのだ。彼には寝たきりの父親と綺麗な姉と小さな弟がいた。

「ハロー、ナマステ。ナイストゥミートゥ」「親父は英語わかんないよ。サンキュだけはOK。英語はうちで看病したアメリカ帰りのバラモンから教わったんだ。うまくないけど」「はじめまして、あたしは姉のラクシュミです」上手くはないが英語だった。女が手を出してきた。思ったよりも若い女だった。肌に艶とハリがわずかにある。しかし栄養状態が良くないらしく、豊満とは言えない。町で見かけた映画の広告からインド美人は豊満だというイメージがあったので、妙な感じだった。

 美貴は今夜の寝床を確保するために、思いっきり笑顔を作った。本当は妙な恐怖で胸が一杯で、それどころではなかったのだ。サバイバルには不向きな軟弱な心身のせいなのだろう。アショーカが彼女のことを二人に話すと、二人とも同時にうなずいた。たぶん泊めてもいいかと言っているのだろう。突然父親がにやりと笑ったので、納得したのだろう。日本人を泊めれば金が入るとでも言ったのだろうか。

 彼女のために空けてくれたベッドは布が重ねて置いてあるだけだった。せめてせんべい布団でもあればいいのにと思った。すでに母親に命じられたボランディアは一日だけだが済ませた。これで小言は言われずに日本へ帰ることができるはずだ。

 何百匹もの羊を数えても寝付けないので、外へ出て行った。熱いがそれよりもホームシックの方が強かった。「眠れない?」「!」飛び上がりそうになって振り返ったら、細長いシルエットがあった。近所の燃え尽きる寸前の焚き火が闇色の人間を作り出していた。ここが同じ地球の上にあるとはいまだに信じられない。妖精や魔法使いが出てきてくれたほうが日本人には現実味があるくらいだ。「座るよ」
 
原始の時代からやって来たような少年はそれなりに礼儀をわきまえているらしい。「俺、アメリカに行きたい」「アメリカに? どうして?」「あの国にはドリームがある。そこで俺は掃除夫から這い上がるんだ」「ここにはないの?」「ないよ。ここにいれば一生掃除夫だ。親父も掃除夫で、じいさんも掃除夫。そのまたじいさんも掃除夫だった。アーリア人がこの地にやって来て、ヒンドゥ教が生まれてからずっとそうだったのかもしれない。俺の子供も掃除夫になる運命だ。これがこの国のルールなんだ」

「あたしは仏教徒だからよくわからないけど、アメリカ人なら大統領にだってなれるわね」世の中はそう甘くはなく、誰もが夢を叶えられるわけではない。アメリカ人だって必死に生きている。
「大統領になりたいわけじゃない。夢が持てるだけでいいんだ。それだけでもいい。それがいつか武器になる。生きていくための武器にね」

「頑張ってね。あなたならアメリカに行けるわ」社交辞令だった。こんな粗末な家の少年が、美貴でさえ行ったことのないアメリカ大陸に行けるけがない。美貴は不用意に激励の言葉を送ったと思った。
「あなたはいいね。いつでも日本へ帰れるから。日本ってどんなところ?」
「どんなって、そうね。ごちゃごちゃしていて、東京なんか騒音がひどくて携帯電話の声も良く聞こえないの」しまったと思った。彼は電話だって判らないだろう。

「俺にはソヒンっていう好きな女の子がいたよ。一人だけ逝ってしまった。俺のために逝ってしまった」そこで二人の会話は終わった。美貴にわかったのは彼がアメリカに行きたがっているという事と、ソヒンという女の子が彼のために死んだという事だけだ。騒音で満たされたコンクリートジャングルから来た軟弱な女と、神話の時代の住人のような少年。どこかで分かり合えるわけがない。満天の空と別れて、彼女は粗末な寝床で朝を待った。

 朝になって、バナナとナンで美貴は朝食を済ませた。そこで右手だけで食べることを教えられた。家人たちはすでに起きていて、一日を始動させていた。この家で一番の怠け者は彼女だった。ラクシュミの話ではアショーカはお得意さんの家を回って、仕事をしているらしい。
「掃除が仕事って聞いたけど」「そうよ。うちは便所掃除が専門なの」

 これがいやで彼はアメリカに行きたいと思ったのだろう。それでもテレビで移民の人々が掃除夫をしているのを見た事があるので、彼も掃除夫から始めなければならないのだ。アメリカに彼は何を望んでいたのだろう。
 帰ってきたアショーカが「チャイを飲んだら、観光でもする?」と言ったので、
「観光はいいの。あたしは帰りたいだけ。ガイド料は払うから、とにかくタクシーを拾える所まで連れて行って」「OKOK。問題ない」その数分後キャリーを引きずる美貴とアショーカは幹線道路を目指して裏通りを歩いていた。彼は直ぐだと言ったが、きっとインド時間だろう。

「アショーカ、今日は女連れか?」二人の前に腹が破裂したように飛び出した男が立ちふさがった。アショーカは顔をゆがめ、男をにらんでいた。
「何の用だよ」「お前は今日からカンジャさんのものだ」「え?」「お前は売られたんだ。父親が右端だよ。今日からカンジャさんの屋敷で、掃除夫として働くんだ」

「嫌だよ。俺は、俺はアメリカに行くんだ」アショーカは身を翻し男から逃げようとした。それでも、背後にはすでに男の仲間たちが立ちふさがっており、あっという間にはがいじめにしてしまった。すでに彼らの狩は計算されていた。「十年の年季があけたら、戻ってこられる。それまではカンジャさんのものだ」「嫌だって言ってるだろ。俺は自分で決めるんだ。どんな事でも自分で決断して自分で決めるんだよ」そう言って暴れても細すぎる彼の体は男たちから逃げられなかった。修羅場に慣れていない日本人の美貴は唖然として立ち尽くしていた。我に返り、ラクシュミにすべてを話すと、あきらめたように顔を曇らせた。毎日のようにあきらめてきて、こういう事にはすでに慣れているのだろう。

「あたしが助けてあげる。予定より早く帰るから、お金あるの。彼を買い戻して」
「あなたはただの旅行者。そんな義務はないわ。これはアショーカの人生なの。あなたは早く日本へ帰りなさい」そう、確かに日本へ早く帰りたい。ラクシュミは美貴を大通りまで連れて行って、アショーカの代わりにタクシーに乗せてくれた。「空港までですかね?」「ねぇ、あなたカンジャさんの家って知ってるの?」「知ってる、知ってる。彼は金持ち、豪邸だ。問題ない」「じゃ、そこに行って。変更よ」       
 (・・・続く、誤字脱字少々あり)
 アショーカはすでに覚悟を決めていた。便所掃除の場所が変わるだけだ。乗せられたトラックの荷台で揺られていると、美貴の事が気になった。彼女に彼の知っている絶景を見せてあげたかった。こんなカルカッタにも美しい場所はたくさんあった。

「心配するな。お前の仕事はもう決まっている。新しい仕事だぞ。カンジャ様のぼっちゃんの遊び相手だ。まぁ、オモチャだな。カレル様は帝王学を学ばれているが、かなりストレスをおためになっていてな。だからそれを癒すために鞭を使う。それを振るっていればストレスが解消されるらしい。最近前のやつがたった三ヶ月で死んじまったから、代わりを探してたんだ。それでお前に白羽の矢が当たったってわけさ。お前は頑丈そうだから、なかなか死なねぇよな。警官に何度殴られてもピンピンしてやがった。それを見込んだわけさ」「・・・・・」別に今更動じる事はないとアショーカは思った。不幸には慣れている。いつもこうしてあきらめてきた。「!」男は音がするほど、少年の背中を叩いた。

「せめて一年はもってもらわないとな。なぁに、心配するな。たとえ死んじまっても善行をしたとして、来世はバラモンになれるかもしれないぞ」そのときは俺様に感謝しろ。あぁ、特別に遺体は焼いて灰をフグリー川に流してやろう」巨大な門が開いて、城のような豪邸にピックアップトラックは入っていった。ひきずられるようにして屋敷の深部へと連れて行かれた。

「ほら、お前が仕えるカレル様だぞ」アショーカの前に小さな子供がいた。シルクの真っ白なシャツを着て、仕立ての良い小さなズボンをはいている。富豪の息子にふさわしい服をということなのか、まだ六,七歳なのにいい服を着ていた。真っ黒な頭髪も七三に分けて、きちんと整髪している。しっかりとした革靴まではいていた。シャツのボタンがはじけそうなほどのでっぷりとした腹をしており、まるで小さな社長だ。この国では太っている事は豊かである事の印だ。高貴な存在である事の証明なのだ。

「こいつ、丈夫?」「大丈夫ですよ。こいつは頑丈です。前のやつのように直ぐに死にやしません」
「あいつはダメだった。ぼくが鞭で叩くと恐ろしい声でギャーギャー叫ぶし、ちっともボクの言う事をきかなかった。まだ死ぬなって言ったのに、ボクに呪いの言葉を吐いて死んだ」
「ぼくはご主人様で、あいつは奴隷なのに」少年はアショーカに近づいてきて、「ひざまずけ!」

「ほら、ぼっちゃんの命令だ。ひざまずけ」男は点数稼ぎのためにアショ-カの背中をついた。勢いで体は前のめりになり、膝を着いた。アショーカは子供をにらみながら、視線をはずさずにひざまずいた。「もっとだ。そしてボクの足にキスをしろ」「ほら、早くやれ」今度は頭を強く押してきた。アショーカはゆっくりと、頭を下げ子供の靴にキスをした。その瞬間に吹き飛んだ。蹴られたのだ。その蹴りは彼の顔面を直撃していた。口を手でぬぐうと、唇が切れているのが判った。暴力には慣れているが、子供にやられたのは初めてだった。
「なんだ、その目は。お前は奴隷だ。ボクに何をされても文句は言えないんだ」

「・・・・・・」「痩せてるな。もっと太らせて。すぐに死なないようにするんだ。いいな、ボクが遊んでいる間はギャーギャー言うなよ。静かにしてろ。じゃないとペットの豹に襲わせて、川に捨てちゃうぞ」
 その健康優良児のふっくらした子供は、まるで彼を煮て焼いてスープにしそうなほど、残忍で非情だった。まぶたを閉じると、日輪の中に立つブッダが見えた。そしてマザーの微笑みも思い浮かんだ。アショーカはその高貴な存在に祈った。(前半 了)第3回に続く