2025年12月26日〜2026年1月1日
香港のFa Hong Monasteryで行われる毎年恒例インサイト・ダイアローグ・リトリートに参加した。
香港IMS主催のこのリトリート。
2023年から参加し、今年で三度目となった。
(写真)大晦日の夜、焚き火を囲んで... 大好きな友人達が揃う
今回の先生は、Dave(カナダ)とNolitha(南アフリカ)。
経験豊富な先生達に、最初から絶大な信頼と安心感をもって、リラックスしてリトリートを迎えることができた。
Waking up Together - Hong Kong Insight Meditation Society
日本に帰ってからこのリトリートでの経験を、インサイトダイアローグを始めたばかりの友人にシェアしていると、
友人がインサイトダイアローグで経験する『心』のことを
『本物の心』『丸裸の心』と表現した。
そして「それを他人に見せるのはとても恥ずかしい。だって人前で裸になるようなものだから」と言った。
私は「丸裸とは、言い得て妙だな!」と思った。
丸裸の心になると、実際は非常に楽だし、心地よく、リラックスできて、心が軽やかになる。
今回は初めて瞑想やインサイトダイアローグのリトリートに参加する人も多く、
彼らにとって、いきなり丸裸になるなんてとても難しいことだった。
「これって外国から日本にきた人が、いきなり温泉で丸裸になれないのと同じだよね..![]()
」
と、友人(ミャンマー人)と私はハッと気付いた。
「私」は裸になるのが恥ずかしい。
「私」はジャッジされるのを怖れる。
だから通常人は、生きる上で、何層にも渡って心にレイヤーがある(服を着ている)。
一方、丸裸になった心には、その「私」そのものがよく見える。
「私」が恥ずかしがっている様子も、「私」が怖れている様子も見える。
丸裸の心には、「私」のすることを見守る機能が備わっている。
「私」のすることが見えても、そこから逃げずに「私」を自由にさせておくことができる。
「私」のすることが可笑しくて、笑ってしまうこともある。
そして他人にも、「『私』ってこんな可笑しいんだよ!」とオープンにすることができる。
「私」が固定化された自己ではないと、はっきり見ているから。
仮に誰かが自分をジャッジしたとしても、本当はジャッジされる人はどこにもいない。
そのことをはっきりと見ている丸裸の心には、怖れがない。
インサイト・ダイアローグの練習では、丸裸の心、つまり何かしらの本物が現れる。
「丸裸の心同士が触れ合う状態を想像して欲しい」と私は友人に言った。
友人は「考えただけでも素晴らしいって分かるよ」と言った。
「なんだかインサイトダイアローグって、『心の温泉』みたいだよね」
日本の温泉では、知らない人同士が服を脱いで裸になって、あったかいお湯に浸かって、ポカポカに温まって、ニコニコになる。
温泉を出たら服を来て、また元に戻るのだけど、温泉にいる間だけは、『みんな丸裸でいていい』という総意が、日本にはある。
こんな温泉文化のある日本には、もしかすると、インサイト・ダイアローグが育ちやすい土壌が、初めからあるんじゃないか…![]()
友人と私は、なんだかものすごい気づきを得たような気がした。
今回のリトリートは4週連続で、先生たちも世界中から集まっている。ビベカ比丘もそのひとり。
今週末にリトリートが終わったら、先生たちの何人かはミャンマーのサヤドー・ウ・テジャニヤの所に行き、リトリートに参加する。
インサイト・ダイアローグとシュエウーミンの瞑想法は相性がいい。
私は行けないけれど、話を聞けるのが楽しみだ。
おまけ
香港3度目にして初めての観光
毎回ランタオ島と空港の往復だったけど、遂に大都市中心部に上陸!
眩しい
重慶大厦(チョンキンマンション)
2026ですね



















