全日本覇者たち❸・斎藤清・水谷隼・特集 | なんでも書いちゃってます

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【全日本卓球大会】覇者たち❸

再三書いてきたが・・・
一ページに多くの選手の多くのエピソードを詰め込み過ぎて
読む方が誰のどの記事に全集中モードで臨めばいいのか・・・
 
・・・・・こんがらがってしまう・・・・・
 
・・・気楽に読んで頂きたいのにかえって読み手に
苦痛や混乱を与えているのではなかろうか?・・・
 
       何事も【腹八分】
 
欲を出してはいけませぬ、
読み手がそうであるなら書き手の私はもっと
 
・・・こんがらがって・・・・・
 
4~50年前の<卓球レポート>や<ニッタクニュース>等々の
カビが生えた古い、古い、卓球専門誌を引っ張り出して・・・
資料作成に四苦八苦!
 
【高齢の私は死に物狂いでおます】
 
いろいろ、自問自答しながらも、まー好きな卓球だから・・・
 
皆さんが、この私の崇高な気持ちを汲んでくれるなら・・・
私は喜んで皆様の礎(いしずえ)となる事
厭(いとう)ものではありません!
 
 
 
 
なんだか選挙運動みたいになってますが・・・
 
そういった事でありまして・・・今日は・・・
「水谷隼」と「斎藤清」の二人に絞って書いていきます、
 
・・・・・が・・・・・
 
「水谷隼」は、今日は優勝年度と・・・
その「水谷隼」の永きにわたる優勝の間に
女子はどれほどの選手が入れ替わり優勝していたのか・・・
これは裏を返せば・・・
 
「水谷隼」がいかに安定した強さ、巧さ、に秀でていたかを
証明する事でもあろうかと思っています!
 
それと・・・「水谷隼」が世に問うた
<スーパーグルー>事件を書いていきます
 

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【水谷隼】

(平成を代表する選手の第一人者)
 
 

通算3回(12年間)の五輪出場

2008北京五輪、
2012ロンドン五輪、
2016リオデジャネイロ五輪・・・
 
五輪通算3回、12年間の
トップ選手としての出場は凄いの一言!
 
近年の日本卓球史は「水谷隼」が歩み切り拓いてきた
卓球史といっても過言ではない!
 
2008年の北京五輪当時はアジア大陸予選があり・・・
中国、香港、台湾、北朝鮮、シンガポール、韓国、と強豪国が目白押し、
その中から7人ぐらいしか通過出来ない厳しさ・・・
 
当時世界ランク20位台の「水谷隼」は北京五輪3回戦で
ギリシャの「クレアンガ」に敗れた、
 
 
「あの当時は予選の通過がほんと、つらかった」と
「水谷隼」は語った・・・
 
よくぞ北京五輪に進出できた・・・
それほど当時の日本卓球は低レベルだった!
 
中国から帰化してきた「吉田海偉」も
「あの頃はランクが50位ぐらいで、すごい、といわれていた時代だった
あの頃に比べたら今の日本の卓球は本当に強くなった、
あの北京五輪以降から時代が変わった」と振り返った、
 
 
 
10数年前頃だったろうか 【スーパーグルー事件】が勃発した!
ラバー張替の際に使用する接着剤(スーパーグルー)
私は通称<ブースター>と呼んでいた
 
これを使用するとラバーにテンションが生じて
凄いスピードと凄い回転がかかったボールが打ち出せる
ラケットから発せられる音が特徴的でキーンと金属音が出る!
 
これは私は使用はした事はないが、(禁止されてる)
卓球選手の間では公然の秘密事項だった!
 
★        ★         ★       ★
 
北京五輪で屈辱の3回戦敗北の後「水谷」は・・・
中国武者修行を決意、決行した!
 
世界の最高峰中国超級リーグ
「水谷」は「淅商銀行」チームの一員として腕を磨いてきた・・・
 
世界ナンバーワン「馬龍」や「馬淋」との練習マッチで
多くの事を吸収した!
 
「水谷」は自分自身が明らかにレベルアップしていることが
実感できていて・・・この頃の楽しさ、充実感を語っている、
2008年中国トップ選手「張継料」を破り、
 
2009年の<韓国オープン>では準々決勝で「朱世赫」
準決勝で天敵ドイツの「オフチャロフ」を撃破、
決勝で「赧師」ら格上の強豪を次々と撃破し優勝を飾った!
 
 
「水谷」は世界ランクも一桁台に上がり・・・
世界的にも知名度は知れ渡っていった・・・
 
自信満々で迎えた2012ロンドン五輪
世界ランクは7位となり注目度は一気に上がり
「水谷隼」は緊張感と周囲の期待の中で
ロンドンでは寝付かれない日々が続いた、
 
こんなことは「水谷隼」にとって初めての出来事だった!
・・・・「水谷隼」は4回戦でデンマークの「マイケル メイス」
に0-4のストレートで敗れた!
 
 
「水谷隼」は自信満々で臨んだロンドン五輪・・・
狙っていたメダルは、おろか、格下相手に、
まさかのストレート負け・・・
プライドはズタズタに切り裂かれた!
 
「水谷隼」は憮然として語った・・・・・
 
「正直ロンドンが終わってからは自暴自棄でしたね」
 
「水谷隼」はロンドン五輪の惨敗に自暴自棄になっていく・・・
そしてかねてより納得のいかない卓球界の問題を告発する・・・
 
ここから冒頭部分で触れた・・・
 
ラバー張替の際に使用する接着剤(スーパーグルー)
私は通称<ブースター>と呼んでいた・・・
 
この問題を世界に向け告発する、という思い切った行動に出た、
この接着剤を塗ると球のスピードや回転が劇的に上がる、
当然全世界の選手は使用している・・・
 
ITTF(国際卓球連盟)は全面禁止を命じているが
実質的には野放し状態なのだ!
 
「水谷隼」はそのような不正は絶対にやらないと明言している、
この<ブースター>を塗った選手に負けた事もあるが
不平は言わず、戦い続けた・・
 
だが自暴自棄になり我慢の限界に達していた「水谷」は
不正だらけの世界卓球界に向け告発した!
 
世界トップクラスの選手の告発だけに
このニュースは大きな衝撃を持って受け止められた!
 
「水谷隼」は自らに半年間の国際試合に出ない事も明言した!
「水谷」は完全に練習をやめた、その間も卓球界浄化のた
めに奔走した、
 
・・・・・だが・・・・・
 
事態は何も変わらなかった!無力感だけが残った、
 
「水谷」はつぶやいた「自分のできる事は全てやったと思うんですけど、
業界は変わらなかった、ただただ無駄な半年を過ごしたという気持ちです」と語った、
 
四面楚歌、世界の誰一人からも共感は得られない!
それどころか「ロンドン五輪で負けた言い訳などすんじゃない」と
悪意に満ちた批判の声があがった、
 
「水谷」は嫌気がさし、イライラしっぱなしだった、
結局のところ、ITTF(国際卓球連盟)の全面禁止を馬鹿正直に守った、
日本人選手たちは、どうすりゃいいのか!・・・・・
 
「水谷」は半年間という、世界トップクラスの選手にとって貴重な期間を
全く無駄にされてしまった!
 
半年間の全くラケット握らない事は、
世界一流選手にとっては致命的なダメージを受けることでもある!
 
「水谷」はこの時期、本気で引退を考えた・・・・・
だがある決意を胸に「水谷」は2013年ロシアに渡った!
この時の心境を「水谷」はこう語った
 
【このまま一人で強くなってやる、
ある意味今まで自分が背負い込んできたもの、
全てと決別する気持ちでした】
 
ロシアのプレミアリーグ<UMMC>に所属した、
ロシアの選手も「水谷」を知らない者はいない、
 
「水谷」はリーグで全勝優勝を果たし全てを吹っ切って凱旋帰国した・・・
帰国してから全日本で2013/2014/2015/2016/と4連覇した
・いよいよ2016リオ五輪へと照準を合わせた、・・・
 
そして「サムソノフ」を破り日本人初の五輪個人メダルを獲得した
 
 
 
 
ロンドン五輪以降・・・
長くて、辛くて、虚しい4年間だった!
だが【自分一人で強くなってやる】という結果は出た!
 
最後に「水谷」は世界の選手に向けて発信した
<ブースター>問題について語った
 
【<ブースター>問題は現状何も変わっていない、
むしろ悪化している気さえする、
 
最近の選手会ではラバーの厚さを一切制限しないという
噂までも聞くそうしたら無法地帯、
 
<ブースター>でもなんでもOKみたいな
、検査に引っかからないのであればOK】
そんな感じになるかもしれません、
 

困ったもんだ

ITTF(国際卓球連盟)よ

断固とした姿勢で

臨まなあかんで!

正直者が損をするようではあかん!

失礼しました
 
 
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全日本男女優勝者(準優勝者)と年度

2006-「吉田海偉」を破り-「水谷隼」優勝「平野早矢香」優勝「藤井寛子」準優勝
2007-「吉田海偉」を破り-「水谷隼」優勝「平野早矢香」優勝「日浦玲子」準優勝
2008-「松平健太」を破り-「水谷隼」優勝「平野早矢香」優勝「王輝」準優勝
2009-「吉田海偉」を破り-「水谷隼」優勝「王輝」優勝「藤沼亜衣」準優勝
2010-「張一博」を破り-  「水谷隼」優勝「石川佳純」優勝「藤井寛子」準優勝
2011-「吉村真晴」に敗れ-「水谷隼」準優勝「福原愛」優勝」-「石川佳純」準優勝
2012-「丹羽孝希」に敗れ-「水谷隼」準優勝「福原愛」優勝」-「石川佳純」準優勝
2013-「町飛鳥」を破り-   「水谷隼」優勝「石川佳純」優勝「森さくら」準優勝
2014-「神巧也」を破り-   「水谷隼」優勝「石川佳純」優勝「森薗美咲」準優勝
2015-「張一博」を破り-   「水谷隼」優勝「石川佳純」優勝「平野美宇」準優勝
2016-「吉村和弘」を破り-「水谷隼」優勝「平野美宇」優勝-「石川佳純」準優勝
2017-「張本智和」に敗れ-「水谷隼」準優勝 「伊藤美誠」優勝」「平野美宇」準優勝
2018-「大島裕哉」を破り-「水谷隼」優勝      「伊藤美誠」優勝「木原美悠」準優勝
2019-「張本智和」を破り-「宇田幸矢」優勝 「早田ひな」優勝-「石川佳純」準優勝
2020-「森薗政崇」を破り-「及川瑞樹」優勝 「石川佳純」優勝 「伊藤美誠」準優勝
 
  

★★★★ ★★★★ ★★★★ ★★★★ ★★★★ 

    優勝回数(8回)

   男子日本歴代二位

【斎藤清】

(昭和を代表する一人)     

 
★★★★ ★★★★ ★★★★ ★★★★ ★★★★ ★★★★ ★★★★ 

 

🔱❷ 「斎藤清」通算8度の優勝

(熊谷商業高校)→(明治大学)→(日産自動車)

       現在(埼玉工業大学職員)

 

【1982】年の全日本卓球選手権S優勝
    男子ダブルス「渡辺武弘」とのペア優勝
    混合ダブルス「嶋内よし子」とのペア優勝

【1983】年の全日本卓球選手権優勝

    男子ダブルス「渡辺武弘」とのペア優勝

    混合ダブルス「嶋内よし子」とのペア優勝

【1984】年の全日本卓球選手権優勝

    男子ダブルス「渡辺武弘」とのペア優勝

【1985】年の全日本卓球選手権優勝

    男子ダブルス「渡辺武弘」とのペア優勝【4連覇】

    混合ダブルス「細川幸智子」とのペア優勝

【1986】年の全日本混合ダブルス 「細川幸智子」とのペア優勝

【1987】年の全日本混合ダブルス 「細川幸智子」とのペア優勝

【1988】年の全日本混合ダブルス 「細川幸智子」とのペア優勝

【1988】年の全日本卓球選手権優勝

【1989】年の全日本卓球選手権優勝

【1990】年の全日本卓球選優勝優勝

【1992】年の全日本卓球選手権優勝

 

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以上はあくまでも全日本卓球大会の優勝記録であり

高校時代、大学時代の各種優勝は除外してます

 

 

 

 

 

 

以上 全日本卓球大会 初優勝 関連

★★★  ★★★  ★★★  ★★★

 

 

 

 

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「斎藤清」の奥様は「嶋内よし子」

 

 

「嶋内よし子」【2003年12月23日死去・45歳】

 

1978年の【全日本卓球選手権】S・初優勝

1980年の【全日本卓球選手権】S・準優勝

1981年の【全日本卓球選手権】S・優勝

 

1982年の【全日本混合ダブルス優勝

    「斎藤清」とのペア

 

1983年の【全日本混合ダブルス優勝

   「斎藤清」とのペア

 
 
 

「嶋内よし子」の初優勝時は「青山学院大学」生だった!

「青山学院」卒業して→「三井銀行」(キャプテン)へ・・・

 

 

 

 

 

嶋内よし子」1981年の

【全日本卓球選手権】二回目の優勝

 

1981年の二回目の全日本優勝の翌年・・・

1982年「斎藤清」と「嶋内よし子」は混合ダブルスを組んだ・・・・・

 

 

それまでは「嶋内よし子」は 75年、76年、77年と

全日本卓球3連覇(及び、世界卓球バーミンガム大会優勝)の

「河野満」(ペン、表ソフト、前陣速攻)とペアを組んでいた、

 

 

 

 

 

 

 

「嶋内よし子」にとって「河野満」は憧れであり目標とする選手(戦型)だった、

「嶋内よし子」は、なんと 憧れの「河野満」に習い、

<土佐女子高>の三年のインターハイ直前1974年(昭和49年)に・・・・・

それまでの裏ソフトから表ソフトラバー(つぶつぶのラバーです)へ転向した!

 

二か月後に控えたインターハイを考えた時に・・・

これは余りに無謀な選択だった!

 

裏ソフトと表ソフトラバーでは・・・機能、性能がまるで違う!

これまでの戦い方(戦術)をガラリと変えなくてはならない、

「嶋内よし子」は無謀というか、大胆というか・・・

 

・・・・・しかし・・・・・

 

この大胆不敵な決断の裏には「嶋内よし子」の今日までの

自分自身の卓球の型を考えた時の伏線が立派に存続していたのだ、

 

中学、高校と・・・とにかく・・・フォア打ちが嫌い、

バックのショートが好きで好きでショートばかりやっていた・・・

この「嶋内よし子」の戦型を考えたら・・・

むしろ表ソフトでなければ「嶋内よし子」の良さは出ない・・・

「嶋内よし子」の大胆不敵な選択は見事に花開く事となる!

 

1974年(昭和49年)インターハイ優勝という、

とてつもない偉業を達成した!

 

 

 

そしてインターハイ優勝という、どでかい勲章を胸に・・・

憧れの「河野満」が卒業した<専修大学>へ進学した、

時折「河野満」は母校を訪れて練習も見てくれた

 

「嶋内よし子」は全日本の混合ダブルスに

「河野満」とのペアで出場するも・・・・

なかなか結果がでなかった・・・

 

そんななか「河野満」は、全日本3連覇、世界大会優勝という

全盛の77年突如周囲の引き留めを聞かず引退してしまう

 

ここで「嶋内よし子」は混合ダブルスのペアを失ってしまった!

 

そして5年の歳月が流れた・・・・・1982年・・・・・

若手で着々と実績を積み上げてきている

新進気鋭の明治大学生 「斎藤清」とペアを組む事となる、

そして、いきなり混合ダブルス優勝という快挙を達成した!

 

 

 

実は「斎藤清」は混合Ⅾには無頓着であったが

上記したように「河野満」の突然の引退で

「嶋内よし子」は混合Ⅾのパートナー不在となっていたのが

こうやって・・・今思えば幸いした、

 

この後・・・二人は世界大会やアジア大会等々

日本のトップ選手として活躍していくこととなる

 

 

 

1982/1983年の混合ダブルス優勝(連覇)が縁で・・・・・

「嶋内よし子」と「斎藤清」は・・・なんと!結婚してしまった!

 

【だが・・・この後に起こる・・・神のみぞ知る事態】を

幸せの絶頂にいる二人には想像だに、できなかった!

 

ここから「斎藤清」氏の友人であられる・・・

【「壁谷卓」様の<前略「斎藤清様」>(2004年)から】

一部・・・引用させてもらいます、

 

よく・・・テレビのスポーツニュースで・・・

ご高齢になられた、かっての名選手「伊藤和子」さんの

生涯100勝チャレンジが放映されていた・・・・・

 

「斎藤清」氏も第一線を退いた後・・・・・

<全日本90勝>目指し立ち上がった、

(最終的に101勝の歴代トップ)

 

その90勝を目指し・・・全日本卓球会場目指す朝・・・・・

 

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【「壁谷卓」様の<前略「斎藤清様」>(2004年)から】

(前略)

三年ほど前に体調を崩し、

去年の春頃から状態が思わしくなかったとお聞きしました、

 

「斎藤」さんと親しい方によれば

<去年の夏頃 清が「よし子はもう駄目かも知れない」>と漏らした、

と言うので・・・ある程度の覚悟はできていたのかもしれません、

 

この日の朝、「よし子」さんの遺影に語り掛けたとおっしゃいました、

 

しかし、

 

その言葉は頑張ってくるよという意気込みや

必ず90勝を達成してくるからというような誓いではなく、

 

【一緒に全日本を見にいこう】 

 

だったそうですね、

 

【よし子は卓球好きでしたからね、どこかに来ていると思いますよ】

 

そう言って、スタンドを見渡す「斎藤」さんを見た時、

不意に涙がこぼれ落ちそうになりました、

 

わずか3週間前に亡くなった・・・

 

「よし子」さんが見守る初戦・・・(後略)

 

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現役時代・・・の「斎藤清」氏
 
 
 
 
 
 

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