安藤昇 | なんでも書いちゃってます

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俳優として

俳優(安藤組、解散後)時代の「安藤昇」(中、右)

 
 
 
 

歌手として

 
 

小説家として

 

<安藤組>解散後、八面六臂の活躍!

 
 
 
 

ヤクザ時代の名残りなのか?

屈強な空手家「村上竜司」を付き人兼ボディーガードとして

身辺の警護にあたらせている

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ほほの傷を見て「ヤクザ者としてしか生きられぬ」

「安藤昇」の左の耳の上から口元にかけて、

大きな釣り針のような形をした傷がある

 

 

 

反目する中華連盟に所属する、

台湾人の悪漢「蔡」に斬られたものである。

表面23針、中縫い(=筋肉縫合)7針を合わせ、

30針を縫う大ケガであった。

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生ぬるい血が顔の傷口から溢れて耳元で、

どくどくと、音を立てている、手術台がやけに眩しい

「先生傷口が汚くならねえように細かく縫ってくれ、

なんならミシンでもいいぞ」

(スタイリストの安藤昇ならではの言葉である)

「黙って口をきいちゃいかん!」

「先生」

「口をきいちゃいかん!といってるだろう」

「先生麻酔を打たねえでやってくれ」

「どうして」

「麻酔をかけると傷口が汚くなるだろう」

「そんな事はない」

「嘘つくな」

「嘘なんかついたって仕方ないしかし望とあればそれでもいい」

「よし、いいから早くやってくれ」

(くどいほど傷口にこだわる「安藤昇」スタイリストの面目躍如である)

 

白布が「安藤」の顔にかぶされる、

メス、ピンセットの金属音・・看護婦が耳にたまった血を拭う

耳の穴に脱脂綿が詰められる、

いきなり鳶口を頬に打ち込まれて

身体ごと引き上げられたような激痛が走る、

「傷口が大きいから中縫いしよう」

<洋服屋みたいな事いいやがって>

「うぅー」

<痛えなーやぶ医者め、人の面だと思いやがって>

「痛いか?」

「痛かねえよ血が出ていい気持ちだ」

 

ほんの数時間前・・・

「安藤昇」は夕暮れ時の銀座並木通りを散歩していた

昭和24年春・・・・・

おろしたての背広は銀座でも超一流の洋服店

「壱番館」製の最高級品だ!

薄茶のシェパードチェックに流行のアローのYシャツ、

ネクタイ、赤地に花柄の派手なヤツで

チョコレート色の新品の靴も磨き上げ顔が写るぐらいに輝いている

馴染みの喫茶店でコーヒーを飲んでいると

「あらー安藤さん今日はバカにおめかしして、

これからデートなの」

とママに冷やかされた

「いやこんな洋服はほんの寝間着さ」

と冗談を言いながら店を出てみゆき通りの交差点を渡った

ショーウインドーに写る自分の姿を横目で楽しみながら

<さてと どこ行くかなー映画か彼女とたまにはデートしょうかなー>

懐には年不相応な大金が入ってる交差点を渡り切ったところで、

誰かに呼び止められた・・

振り返ると三国人連盟のバッジを背広の襟に麗麗しく付けた

「蔡」という男である、

「アンドーサン ワタシガ アイサツ シタノニ 

トーシテ ダマッテ イクンダ」

これは明らかに因縁である、普段から横暴な彼らのやり口に

腹に一物あった「安藤昇」はカチンと頭にきた

特権(戦勝国民)を利用して隠匿物資の摘発、それも強盗同然に押し入ったり

電車の中では平然と酒を飲み女に絡み

混雑して立錐の余地もない座席を一人で分捕り大の字に寝転んでいたりと・・・

今思えば日本の軍隊に痛め抜かれ奴隷のように搾取された三国人にしてみれば

百年目に巡ってきた我が世の春だったのだ、

劣等意識の裏返しの報復気分で思う存分振舞いたかったのだろう、

その気持ちもわからないではないが、

現実に目の前でひどい目にあっている同胞を見過ごし

三国人の横暴の前に膝を屈するのは耐え難かった、

「安藤昇」はそんな時、遠慮なくぶちのめしてきた、

「やーそうか気が付かなくて」と言っておけば・・・それでおしまいだったが・・・

常日頃、憎いこいつら・・・と抑えていた感情が爆発点に達した「安藤昇」は 

いきなり男の顔面にパンチを叩きこんだ、

二メートルほどすっ飛んだ「蔡」に飛びつき襟元を掴みパンチを喰らわそうとすると、

「蔡」は

「上着を脱ぎたいので」と哀願した

「よし脱げ」

「安藤昇」は油断したとしか言いようがない!

「蔡」の襟元を掴んでいた手を放してしまった!

「蔡」は、しめたとばかり 内心ほくそ笑んだ!

次の瞬間「蔡」は素早く腕を斜めに切り下げた・・・

「蔡」の手にギラリと光るドスが握られていた!

次の瞬間、「安藤」は頬に冷気を感じた、

そして丸太で殴られたような激痛が走った!

「やりやがったな この野郎ー」

「安藤」は道端の焼煉瓦を掴み「蔡」の顔目掛けて投げつけた、

「蔡」は一目散に逃げ出した・・・・・

頬を押さえると、どっと生ぬるい血が溢れるように噴き出していた、

怒りがムラムラと湧き上がってきた、

<ようし たたっ切ってやる>

「安藤昇」は噴き出す血を押さえながら「蔡」の後を追った

続く

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手術は無事すんだが、

端正な「安藤昇」の顔にはムカデが這ったような傷跡が残った。内心

トレードマークとでもいうべき左ほほの傷。

手術後、「安藤昇」は鏡を見て、

「この顔傷(ガンきず)では自分は生涯ヤクザ者としてしか生きられぬ」と、

予感したという。安藤昇氏の若き日の苦い思い出であった。

 

 

 それから3年後の1952年(昭和27年)

「安藤昇」は渋谷に『東興業(あずまこうぎょう)』を設立する。

 俗にいう『安藤組』と呼ばれた、ヤクザ組織の誕生であった。

「安藤」氏は自身の予言どおりヤクザになったのである。

 だが、ヤクザといっても安藤組は古き任侠界から逸脱した、

独自の組織形態を持っていた。

刺青や断指などの既存のヤクザの慣習を禁止し、

ベネッションのグレーのスーツと黒いネクタイを制服に、

丸にAの代紋を模(かた)どった組員バッジを着けることで連帯感を持たせたという。

 ダボシャツ姿に刺青をチラつかせた昔気質のヤクザに対し、

新しいヤクザのスタイルを確立した安藤組。 

当時のヤクザの武器の定番である日本刀(ダンビラ)や匕首(ドス)に変えて、

安藤組は米軍から入手した45口径で統一し武装した。

同型であれば、弾倉や弾丸(タマ)も互いに融通できる。

なんとも理にかなった組織運営に、多くのヤクザたちが舌を巻いた。

 彗星のごとく渋谷の地に現れた、任侠界のニューウェーヴ安藤組。

「安藤」氏の斬新な感性は不良少年たちを魅了した。

それは、ヤクザ業界で最初といわれる代紋をあしらったバッジを300個つくったものの、たちまちなくなってしまい追加注文したという逸話が物語っている。

弱冠26歳で愚連隊グループからヤクザ界へ

 安藤組最盛期には、500人以上の組員が在籍したという。

「安藤」氏に憧れ集まった若者の中には、

一流大学の学生や有名進学校の高校生なども珍しくなく、

ほとんどが十代後半から二十代後半だった。

 のちに「安藤」氏自身が、

『早稲田や慶応在学の学生ヤクザも多かったが、

学生ヤクザは8割は卒業と同時に廃業する。

残った2割のヤンチャな大学生が安藤組に就職した』と回想している。

世間は、彼らを称して『インテリヤクザ』と 呼んだ。

 「安藤昇」氏は、弱冠26歳で愚連隊グループからヤクザ界に転身する、

鮮烈なデビューであった。それからの安藤組の躍進は

、今も伝説となっている。

力道山襲撃計画、アル・カポネの直系ギャングとの談判等、

後世に語り継がれるような大事件ばかりである。

そして「安藤昇」は、すべての戦いに勝ち続けた。

だが、怒涛のごとく躍進する安藤組を、

存続の危機に陥れる事件が勃発する。

 
【参考文献】
「影野臣直」氏文献・・・(「安藤昇」氏との対談)
「安藤昇」極道一代
<ヤクザと抗争>
<飢餓編>
<疾風編>
<完結編>

 


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