「監督 お元気で・・・」
私の「ジュニア卓球クラブ」
監督生活に区切りの日がきた
私の大事な大事な 可愛い可愛い 教え子たち
ご父兄の皆様方・・・
県卓球連盟 豊後高田支部長
「大野貴司」様等のご出席を頂き
セレモニーも無事に終わった
(我々 指導者は特に小学生の児童を預かっているので そのプライバシーには
特段の配慮をしなくては ならない これは市役所 教育長よりも強い要請を
頂いてる・・・ですので 名前(性)の部分を黒く塗りつぶしていることご理解
頂きたい)
一年前に入部してきた いっきは素質が
あるので今 別れるのは ほんとに辛い
卒業していく六年生は仕方ないが
残った5.4.3年生 基礎も完成しつつあり
これからが大輪の花が開こうと
してるときだけに・・・残念だ!
老いらくの恋ならぬ・・・
定年後 昔とった杵ズカで
老いらくの卓球に明け暮れた
三年間だった!
年を忘れ 昔の夢を再度追いかけ
一週間 日曜日と月曜日以外は
全て卓球にこの身を捧げて来た
足腰 脇腹の筋肉痛に悩まされ・・
しかし努力は小さな花を咲かせてくれた
ラージボール・ダブルスで都留先輩と
ペアを組み C級の部ながら
大分県一になった
120歳ダブルスといってペア二人の年齢が120歳に達している
ひとだけの大会
今年の9月の県体では都留先輩にかわり
豊後高田市の60代県体選手として
出場させてもらった
私の卓球を控える契機は昨年の
母の死だった・・・
10年間 寝たきりの母を全て
面倒みてきたわたしにとって
母の死は・・・一気に私の全ての
気を奪い去った・・・
皮肉だが 母の面倒を見ることなく
これからが私の卓球人生を
謳歌できる筈が 裏目にでてしまった
人生とは そういうものだ
定年で生まれ故郷に帰り
その日から ただ卓球だけに
全てを打ち込んできた
母の死を契機に 今一度
今後の自分を見つめ直して
また卓球再開するか・・・
歌舞伎はどうするか・・・
いろいろ考えてみたい