大船渡線で気仙沼に到着。ここから更に乗り換えて先へ進みます。
乗るのは大船渡線BRT。「大船渡線」という名前の通り、本来は大船渡まで続いている路線でしたが、東日本大震災による津波の甚大な被害、そして復旧費用や赤字問題の観点から鉄道での復旧は断念。代わりに一部線路跡の専用道を使ったBRTとして運行が開始されたものです。
このような感じで、本来の1・2番線をBRT専用道(ホーム)として活用しており、アスファルト舗装がしてあります。
ちょうど気仙沼線BRTの本吉行きが入ってきました。一応、JR東日本のバスですが、運行は気仙沼線BRTはミヤコーバスに委託されているそう。
駅舎の電光掲示板は、このような表記になっています。
乗車する大船渡線BRT・盛行きが入ってきました。ほぼ毎時1本は確保されていますね。
また、こちらの運行は岩手県交通が担当とのこと。
発車して2キロほどは専用道を走ります。写っているのは鹿折唐桑駅の鉄道ホーム跡。
ですが、それ以降は三陸道を通ったり、既存の道を走ります。
しばらくすると海岸沿いへ。ここから見ると、とっても穏やかなんですけどね・・・
新しいお家が増えてきて、陸前高田の市内に入ってきました。
40分ほど乗って、下車したのは奇跡の一本松駅(駅?バス停?)です。まあ、名前で分かる通り、BRTになってから新設された駅ですね。
私以外にも学生さん達が何名か降りてかれました。
ここには「道の駅高田松原」があり、「東日本大震災津波伝承館」も併設されています。伝承館は無料で入れますので、訪れた際はぜひ行ってみてください。実際に被災した車両や町の様子を見ることができ、非常に勉強になります。
道の駅から海岸線を望むことは、高い防潮堤に阻まれできません。ですが、その防潮堤まで道が続いており、登ることができます。
防潮堤の上から海を見てみます。震災前はここに「高田松原」と呼ばれる7万本もの松の木がありましたが、1本を残してほとんど倒壊してしまいました。
現在は、新しい松の木が約1万本植林されており、数十年後には再び松原が復活することが期待されています。
周辺にはバス停の名前にもなっている、津波に流されず唯一残った「一本松」や
倒壊したユースホステルが残っており、津波被害の凄惨さを目にすることができます。
震災当時も島根に住んでいた私にとっては、東日本大震災は語弊を招く言い方にはなりますが「テレビの中の出来事」だったんですよね。島根は地震自体も(仕事中だったこともあって)感じませんでしたし、ライフラインにも影響なかったですからね。
ただ、こうして実際に被災した地域の様子を見ると、否が応でも現実を感じさせられます。と同時に、津波に飲まれ亡くなった方・及びご家族のことを思うと、胸が締め付けられます。あの時を生きていたものとして、しっかりと伝えていかねばなりませんね。
で、お昼時でしたので、ランチと・・・
何故かここにある「すなば珈琲」のコーヒーを買いました。
再びBRTに乗り、大船渡方面へ向かいます。