本州の最果て・津軽半島の先にある青函トンネル記念館に行った後は・・・
その青函トンネルが完成するまで、「青函連絡船」として運行していた八甲田丸を見学しにやって来ました。
ここは青森駅のすぐ裏にあるので、鉄道でのアクセスも抜群・・・てか、青森駅から乗り換え通路があるので当然か。(笑)
対岸の函館には「摩周丸」という青函連絡船が保存されており、そちらには2年前に行ったので、ぜひこちらにも来たいと思ってたんですよね。
黄色いラインが特徴的な通路で連絡します。
それでは船内へ。
摩周丸の方は船の説明や青函連絡船の歴史がメインでしたが、こちら八甲田丸は運行当時の青森市内の様子をメインとして扱っています。
よって、昭和レトロな物品が展示されており、私にとっては天国のような空間でした。あのラジオ、インテリアで欲しいなぁ・・・
昭和30年代当時の青森駅の時刻表と運賃表。遠く九州の鹿児島や宮崎までの運賃もありますね。現代のように、一般人が飛行機を日常的に使える時代ではないですから、少なからず九州まで行く需要があったのでしょう。
行商のおばちゃん達がリンゴを売っている姿も再現されていました。
昭和の中期ぐらいまでは、こうした「赤帽さん」と呼ばれる荷物を運んでくれるお手伝いさんがいたそう。今のように宅配便網が発達していない時代、旅人の荷物は多かったそうで(今のインバウンド客並み?)、こういった人の存在は欠かせなかったとか。
私が持っている昭和39年10月の復刻版時刻表にも、まだ赤帽マークがありますので、まだまだ需要があったのですね。宮脇俊三先生の「時刻表昭和史」にも時々登場しています。(宮脇先生、お父様が国会議員だったので結構なお坊ちゃまです。)
ようやく船の紹介ゾーンにきました。船の模型が飾られてますね。
このデラックスな座席はグリーン車指定席。リクライニングはJR九州787系のDXグリーンぐらい倒れます。(笑)
レッグレストもあって、深夜便では十分に寝れそうです。
人形がリアルでちょっとコワイ・・・
こちらはグリーン車の自由席だそうです。グリーン車自由席・・・もしあぶれた時はどういう対応してたのかな?
こういった寝台個室もあったみたいです。今の青函フェリーにもありますよね。
「JNR」が配置された浴衣も中々ないのでは?
久しぶりに乾湿温度計見ました。小学校にありましたね~。
案内表示が国鉄ですね。マス席や食堂とは別に喫茶室なんてのもあったんですね。
操舵室にもやって来ました。ちなみに見えている吊り橋は「レインボーブリッジ」だそうです。封鎖できるかは・・・分かりません。(笑)
操舵室からエレベーターで下って、車両甲板へ。摩周丸ではここまで入れませんでしたので、ここを楽しみにやって来ました。
ここには4本線路があり、貨車がそのまま乗り込める構造になっています。そのため、現在はここに車両がいくつか展示されていました。
こちらは車掌者の余貴美子・・・ではなくヨ6000。
こちらは郵便車のスユニ50。実際に青函連絡船に積載されたのでしょうか。
こちらは絶対に積載されたことがないであろうキハ82。まあ、動力車は乗せなかったでしょうね。
荒れる津軽海峡、車両を固定するために連結器が端にありました。
こちらは北海道上陸後にけん引したであろうDD16。
てか、船の中にポイントがあるんですね・・すごい・・・。間違いなく手動で切り替えていたんでしょうね。
外側(陸の方)はこうなってます。この線路を寸分の狂いなく合わせるのは神業レベルでしょうね。
というわけで、八甲田丸を観光してきました。現役の頃に乗りたかったなぁ、と思いました。(私が産まれてから半年後に廃止になったので、現実的に無理ですが笑)
この後はお土産物を買って、東北新幹線で東京に戻ります。というか、この旅のメインイベントがこの新幹線なんですけどね~!