前回の続きです。
久しぶりに鉄道博物館にやってきた私。本館1階を抜け、新館へと向かいます。
連絡通路にはE1系がいました。訪問日の朝に乗ったE4系の先輩にあたる車両ですね。
東日本大震災後に貼られた「つなげよう日本」のステッカーがそのままです。(廃車は2012年です)
普段は休憩所兼食事場所として開放されている183系ですが、コロナ渦の影響で施錠されていました。
車窓からは高崎線が見えますし、駅弁でも食べてたらプチ旅行気分が味わえるのになぁ・・・・
さて、新館に入っていきます。
左には400系、真ん中にはE5系、右にはシュミレーター用ですが207系がいました。
初代山形新幹線用車両の400系。JR東日本の「E」の付かない新幹線の最後の列車です。
シルバーメタリックの車体が近未来感を感じるデザインです。
車内には入れないようになっていたので、外からパシャリ。
重厚感のあるグリーン車です。今なら絶対に採用しないでしょうね、JR東さん。(笑)
登場が90年代前半、ということでまだ幕式の方向幕です。(変な日本語笑)
あと、グリーン車マークの主張が強めです。
このロゴに90年代を感じるのは私だけでしょうか?
お隣のE5系は・・・まあ、比較的見慣れているので特にいうこともなく。(笑)
200系で採用されたボディマウント構造もしっかりと引き継がれています。
2つの車両を2階から。
踏切発見!
とりあえず、普段しちゃいけないことをやってみました(笑)
というか、この状況に遭遇しないことを願うばかりです。
207系を見ると、初代の電車でGoを思いだします。京浜東北線に快速運転があることを、ここから学びました。
エセの運賃表。ニューシャトルより安く設定しているのは当て付けでしょうか?(笑)
そして、「浦和」って駅名が多すぎる・・・って、これはリアルか。
腕木式信号機と閉塞機です。私が子供の頃の因美線を思い出しますね。
新館2階はこのように鉄道の歴史を写真や駅の再現で紹介しています。
そういえば、先日アフガニスタンで飛行機にぶら下がる人たちがTVで映っていましたが、乗り物は違えど戦後混乱期の日本でも同じような混乱が起きていたようで・・・。
「明日の命が保証されない」状態になると、こういうことが起こるのでしょうね。まあ、この時代(戦後すぐ)の日本では燃料不足や運転士の不足もあったという部分も考慮すべきですが・・・
まだまだ訪問記は続きます。
これでも相当駆け足で回ったんですよ・・・時間なかったから。
よろしければ、次回投稿もご覧ください。