ピカリコ開所10周年記念式典 | 稲垣昌利オフィシャルブログ「まさとしのティータイム」Powered by Ameba

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西尾市内にある、


障害者支援施設ピカリコ


の開所10周年記念式典が開催され、


お招きを頂きましたクラッカー




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このピカリコ設立の背景には、


ひとつの物語がありますひらめき電球


それは、


先天性の脊髄性筋萎縮症という


重いハンディキャップを抱えながら


輝いて生き抜いた一人の女性、


永谷由美さんの物語ですビックリマーク





不自由な身体ながらも、


世界中の人たちと友達になれたらと


独学で英語の勉強を始め、


努力に努力を重ねて英検準1級を取得ビックリマーク


そして、


英検3級の2次試験の面接委員を務めるなど、


活躍をされましたニコニコ




その後、


念願のアメリカ旅行を果たし、


そこで転機が訪れますひらめき電球




それは、


アメリカでは1990年にADA法が施行され、


障害者用の駐車場やスロープ、


エレベーターなどが公共施設に義務付けられるとともに、


障害者自身が自分たちの権利を守る行動を


していたのですビックリマーク


由美さんは、


家族だけに支えられた自らの姿との違いに


愕然としたのです。




帰国後、


自分と同じような境遇の仲間のために行動しようと決意し、


重度の障害を持つ人が、


家族に頼らずに安心して生活できる施設の建設と、


障害者が自立できる町の実現に向けて、


講演活動や署名活動を精力的にされましたビックリマーク




しかしそんな矢先、


1997年、29歳の若さで


志半ばにして天国へと旅立たれました。




由美さんのお葬式のあいさつでお母様は、


「由美の意思を継いで施設の建設を目指しますので、


協力をお願いします」と頭を下げられました。


そして、


現施設長はじめたくさんの方々協力を得て、


5年後の2002年9月22日、


由美さんの35回目の誕生日の日に


ピカリコは開所しましたニコニコ




そして開所から10年を迎えた今日、


由美さんの想いによって、


本当に多くの方々が救われ、助けられていますひらめき電球


僕の家もそうです。


6歳上の兄が毎週1回こちらでお世話になっていますビックリマーク


自宅での介護がほとんどで外出はめったに無かったため、


施設を利用し始めた頃は慣れないせいか、


帰ってくるとグッタリと疲れた様子だったり、


熱を出してしまう事もしばしばありましたが、


今では本当に楽しみにしていると思いますニコニコ


ピカリコに行けば、


たくさんの友達に会え、


スタッフのみなさんが温かく親切にお世話をしてくれますひらめき電球


また、


普段は兄の介護中心の母も、


僅かな時間ではありますが、


ホッと息を吹けたり自分の時間をもつことができますビックリマーク




我が家に限らず、


障害を持つ本人だけでなくそのご家族など


本当にたくさんの方が


由美さんの想いで作られたこの施設に救われているのです!!





残念ながら、


愛知県は重症心身障害者の


人口1万人当たりの施設の定員数は


全国ワーストワンですビックリマーク


今月26日の本会議での一般質問でも


重度障害者の生活支援についてを議題としますひらめき電球


より多くのみなさんが、


このピカリコと同じような施設で救われるよう、


僕自身も努力していきたいと思いますビックリマーク