八重鉾山城 姫路市八重鉾山城(姫路市四郷町山脇)別名:八重鉾山構・山脇構居嘉吉元年(1441)十月、山名宗全が赤松満祐を討亡し播州をその支配下に置き姫路城に入城した時、八重鉾山に安達五郎太夫を指し置いたのがこの構の始まりと云われている。天正の頃(1573~1592)は山脇六郎左衛門が居城した。六郎左衛門は御着の小寺の家臣であったが、秀吉に内通すると疑われ、小寺藤兵衛は黒田官兵衛孝高をして六郎左衛門を殺害せしめたと云われている(『飾磨郡誌』)。(※兵庫県中世城館・荘園遺跡より)南出郭西下段南出郭中央上段南出郭東下段南西三郭東屋の建つ南西二郭南西二郭東腰曲輪主郭北西二郭北西三郭北西三郭の北東下の溜池のような窪み北西三郭の北西下の、土塁に囲まれた溜池状の地形八重鉾山城遠望軌跡ログ実地調査を元に作成した概略図姫路市の城