御着城(姫路市御国野町御着)
一般的に永正十六年(1519)赤松氏の一族小寺政隆によって築かれたとされているが、『九条家文書』によると明応四年(1495)御着に納所が置かれ、小寺則職が奉行としていた記録があり、さらに『蔭涼軒日録』によると長享二年(1488)反銭奉行として小寺の名が見られるところから長享・明応の頃すでに御着に城があり、小寺氏がここを根拠としていたことが考えられる。政隆は姫路城からこの城に移ったが、享禄三年(1530)浦上村宗に攻められ庄山城で討死した。その後小寺氏は御着城を取り戻し代々居住したが則職のとき子政職に城を譲って則職は隠居した。天正五年(1577)羽柴秀吉の播磨侵攻に際し政職は三木城の別所氏に味方したため秀吉の軍に攻められ御着城は落城し、以後廃城となった。
(※兵庫県中世城館・荘園遺跡より)
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