天神鼻台場(姫路市家島町宮)
諸外国からの開国要求が高まる中、江戸幕府は、各地の大名に防備の強化を命じ、姫路藩では、嘉永二年(1849)家島と対岸の室津に大筒台場を構築することにした。ここは、その時築かれた家島台場の跡である。
嘉永六年(1853)になって、アメリカ東インド艦隊のペリーは、軍艦四隻を率いて浦賀にあらわれ開国を迫った。あわてた幕府は、その年東京湾に品川台場十一基の築造を始めたが、完成したのは五基のみであった。そして、翌年再び軍艦七隻を伴い来航したペリーの圧力に屈し、ついに日米和親条約を締結し開国することになったのである。
この家島台場に大砲が据えられたかは、不明であるが家島神社境内整備に際し、ここに新たに大砲石像一基を据えるものである。
(※現地説明文より)
台場跡