恋の浜城 姫路市 | 山城攻略日記

山城攻略日記

北海道から沖縄まで、日本全国の有名所の城を旅し…
現在は地元・鳥取を中心とした城巡りの日々(^-^)/

恋の浜城(姫路市白浜町松原字城の内)

別名:松原構


文和年間(1352~1355)に妻鹿孫三郎の幕下の松原掃部介がこれを築いた。その後康歴二年(1380)伊豫国から播磨へ来た三木通近がこの恋の浜城を居城とした。「播磨鑑」には通近の恋の浜城入城を永享三年(1431)十二月二十日讃岐よりと記し、城主名も三世の通重としている。これは誤りである。通近はもともと伊豫の河野家の出で、その後讃岐の三木郡の地頭職を得てより三木姓を名乗るようになった。同じ年(康歴二年)に播磨国で中条郡と揖東郡を領有していた兄の通昌が戦傷を負って死んだため将軍義満の命により通昌の所領を守るべく播州へ来たり恋の浜城に入城したのである(「英賀城主の話」)。その後三木家はこの城に近重、通重、通武と六十余年居住したが、嘉吉二年(1442)山名持豊から英賀城に入るべき旨の命を受けて恋の浜城を去ったのである。この時三木家初代の通近は81才で通武と共に英賀城に移り、翌嘉吉三年82才で英賀城内で死去した。三木氏が去った後の恋の浜城の消息は明らかでない。

(※兵庫県中世城館・荘園遺跡より)


松原八幡宮


絵馬殿
恋の浜城跡