的形城 姫路市 | 山城攻略日記

山城攻略日記

北海道から沖縄まで、日本全国の有名所の城を旅し…
現在は地元・鳥取を中心とした城巡りの日々(^-^)/

的形城(姫路市的形町的形)

別名:的形構・的形構居


城主は長尾新十郎重朝、福泊城主の甥と記されている以外は一切不明である。

(※兵庫県中世城館・荘園遺跡より)


『播磨鑑』にては的形構居、的形領主長尾新十郎重朝 、重朝については的形城主となっている。的形城とは円光寺西南の峰、赤坂山だと伝えられている。

附記:赤坂山とは現在地図の上では円光寺周辺となっている。

(※現地説明石碑より)


中世(鎌倉・南北朝・室町時代)の城は、姫路城のような豪華な城ではなく砦のような「山城」であった。武士の住居は山麓にあって、いざ合戦となると、その山城にかけ登り籠るのである。的形城も山城で圓光寺の西南約350m「上の山」の頂上にあったと言われている。長い年月を経て崩れた石垣や大岩などが竹に覆われていたが、いま整備作業が進んでいる。

的形城の城主は三木重朝(長尾新十郎とも)で、系図「長尾一系志」によると、父は福泊城主通朝(長尾新藤次)。重朝のあと朝通・通故・故惟・惟方と続く。なお、圓光寺の境内に「的形城砦の址」の石碑と「城主の供養塔」がある。が、「的形城砦の址」の場所は此処ではない。本堂南の橋を渡って尾根伝いに西南へ歩むとやがて頂上で、そこが的形城跡である。現在頂上は竹藪であるが、手前の整備された道に進むと崩れた大きな石や石垣が見える。

(※現地説明看板より)


主郭?の円光寺

的形城の砦碑
的形構居説明石碑
的形城説明看板
円光寺から道路を挟んだ丘陵頂部の主郭?
北二郭?
北三郭?

的形城跡