福泊城 姫路市福泊城(姫路市的形町福泊)別名:福泊構福泊構は『赤松家播備作城記』によれば、文明元年(1469)山下五郎左衛門尉重氏、山下五郎左衛門尉職重などが居城していたが、天文年中(1532~1555)に落城したとある。『播磨鑑』では城主として長尾新藤次通主膳の名がある。広大な西七郭帯曲輪状の西六郭帯曲輪状の西五郭帯曲輪状の西四郭帯曲輪状の西三郭帯曲輪状の西二郭主郭南東二郭帯曲輪状の北東二郭帯曲輪状の北東三郭帯曲輪状の北東四郭福泊城遠望軌跡ログ実地踏査を元に作成した概略図姫路市の城