国府山城(姫路市妻鹿甲山)
別名:功山城・妻鹿城・甲山城・袴垂城
初代城主は薩摩氏長の子孫で『太平記』で有名な妻鹿孫三郎長宗である。『播磨鑑』によると長宗は貞祐と名を変えている。しかし『飾磨郡誌』には嘉吉の変(1441)後、城を退転した孫次郎貞祐が妻鹿氏を称し文正元年(1466)民間に下り妻鹿村に居るとあって2人の貞祐が居た事になっている。いずれにしても長宗は元弘の戦に赤松円心に属して功を立て、その功によって妻鹿地方を領有するようになり、ここ功山に城を築いたのであろう。後その孫妻鹿苗三郎四郎がこの城を守ったが、赤松満祐に属していたため嘉吉の変に遭い退転し野に下ったとされている。
(※兵庫県中世城館・荘園遺跡より)
南西九郭の井戸跡