柴崎山城(姫路市八代官前町)
永享十二年(1440)、赤松満祐の下知を拒んで閉戸追放になった姫路の豪族のうちに八代山構主井出宗考沙弥というものがいる。八代山と柴崎山を同一とすれば、最初に構を築いたのは井出宗考という事になろう。八代六郎左衛門道慶は八代家の祖で、享禄四年(1531)小寺則職が御着城に移った後の姫路城の留守居をして守備を命じられていた人である。姫路城の留守役は十四年にも及んだが、天文町十四年(1545)黒田職隆と交代した。六郎左衛門はその後八代構に居住したものとされている。あるいは八代山構(柴崎山城)を下りて麓に館を造ってそこに居住していたとも考えられる。
(※兵庫県中世城館・荘園遺跡より)
南西曲輪