北側を「三味谷奥池」「三味谷」「戸ノ池」、南側を「石樋池」「西ノ谷池」で囲まれた山林を俗称「城林」(しろんばい)という。文献は未発見であるが、ここに「念仏城」支城群のうちの一つがあったと伝えられている。城跡の正確な位置は伝えられていないが、「金比羅宮」より北東に伸びる尾根の先端の標高124mの位置が城跡と考えられる。ここには、削平地が二段あり、「戸ノ池」より登る通路が、削平地付近で堀切道となって通じている。削平地後方の尾根の両翼には竪堀と思われものが見られ、さらに通路は尾根づたいに、前記の「金比羅宮」を経て念仏城へと続いている。
金比羅宮の標高は155mあり、このあたりで最も高く、また、東条から吉川へ通じる旧道もこの下を通っていることから、ここにも往時は何らかの防衛施設が設けられていた可能性も考えられる。また、城林城と金比羅宮のほぼ中間の標高150mの地点にも加工面が見られるが、これは防衛施設に関するものかどうかは不明である。なお、「戸ノ池」北隣の小字「池尻」を俗称「門口」という。
(※兵庫県中世城館・荘園遺跡より)