岩屋城 旧加東郡東条町 | 山城攻略日記

山城攻略日記

北海道から沖縄まで、日本全国の有名所の城を旅し…
現在は地元・鳥取を中心とした城巡りの日々(^-^)/

岩屋城(加東市森尾小字小谷山・谷垣内および新定小字高町・奥木谷)

各種古城記に、城主は赤松兵部少祐之(赤松満祐の弟)であったと記されている。岩屋城は旧岩屋村(現「森尾」も旧岩屋村の一部であった)と旧新定村の村境で、北方より南方に伸びる尾根の先端が東西に分岐し、背後より僅かに高くなったところにあった、といわれている。それらを便宜上「東の城」「西の城」と呼ぶ。「東の城」および「西の城」の最高部の標高は、それぞれ131mおよび123mで、その間には深い谷が入り込んでいた。(昭和47年東条町1/25000地形図による)。現在「東の城」跡地には工場が、「西の城」には雇用推進住宅森尾宿舎が建ち、城跡遺構は消滅した。ただ森尾宿舎南側の斜面には「西の城」への通路と小さな加工面が数段残っている。
『加東郡誌』『新修加東郡誌』では「岩屋城」と「亀山城」を2城に分離して記述しているが、これは地元で「東の城」を「岩屋城」、「西の城」を「亀山城」と呼ぶこともあったためであるが、城郭構造上は明らかに1城であり、このような例はこの地方では珍しいものであった。
(※兵庫県中世城館・荘園遺跡)

工場地帯となった城跡

岩屋城遠望