正保書上五十四城の一で、「古城之覚」は勝田南郡下山村の「下山之城」、別に英田郡下知村の「下山之城」として、いずれも城主未詳とある。「美作鏡」は「井ノ内城」で城主を下山筑後守とする。「東作誌」は勝南郡下山村の古城として、井の内の地にあり、本丸(三十間四方、石築あり)、二丸(十五間四方)、西に二箇所の堀切(幅三間、深さ二間、長さ十一間)、南向きの城で今に石壁の遺跡あり、城主は下山筑後守信氏と記す。天保国絵図に「古城跡」とある。「美作古城記」は「井の内城」とし、『岡山県勝田郡志』は嘉吉元年(1441)、山名持豊に従った北条氏吉が公文荘を与えられ当城を築城、子孫の清氏は天文十三年(1544)に後藤氏の攻撃を受け逃走、のち下山村に土着したとする。『美作古城史』は俗に大仙山と呼ぶとする。
(※美作国の山城より)
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