「東作誌」は吉野郡長尾村の「黒山城」として、上り十町余りで段あり、春名新次郎が居し城跡は少し形が残るのみ、また同郡吉田村の「古城」として、長尾村内の引谷境にある高山で、米ヶ乢といい、地元民は「尼城」と言い慣わしている、郭数不詳、吉田村の谷奥にあると記す。『英田郡史考』は引谷の東峰に「尼ヶ城」という城主不詳の城があり、黒山城と同一の城とかとし、別に「比丘尼ヶ城(一名黒山城)」として、春名新治郎の居城で、天文年間に尼子晴久に攻め落とされたことから比丘尼ヶ城という、城主の墳墓が引谷にあり「殿様墓」と称していると記す。なお『美作古城史』は黒山城と別に「長尾城」が「日々谷界」にあり、地元説で尼城というとして、尼子氏浸入当時の一夜城かとする。
(※美作国の山城より)
北西六郭
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