三星城 旧英田郡美作町 | 山城攻略日記

山城攻略日記

北海道から沖縄まで、日本全国の有名所の城を旅し…
現在は地元・鳥取を中心とした城巡りの日々(^-^)/

三星城(美作市明見・入田)

正保書上五十四城の一で、「古城之覚」は英田郡明見村の「三星之城」として、城主を「五島左衛門尉勝元」、勝元は宇喜多直家の聟で、直家の家臣中島杢之助が後藤藤兵衛を謀り勝元を毒殺させたと記す。「美作鏡」は「三星城」として城主を後藤摂津守勝元、城山は入田村へ跨るとする。「東作誌」は勝南郡明見村の「三星山古城」とし、明見村の南にあり、入田村と境を接するとし、また同郡入田村の古城跡として、三星山であり前山は明見村に、後山は入田村にかかり当村の城山と記す。天保国絵図に「三星古城跡」とある。『岡山県勝田郡志』は、初め渡辺進左衛門長寛が応保年中(1161~1163)に当地に館を構え三星と称し二代居住、暦応二年(1339)後藤康基が塩湯郷地頭職を得て居住したとする。
康安元年(1361)七月、山名時氏の美作国侵攻にあたり二十日余りの抵抗ののち山名方となった「妙見」の城がみえる(「太平記」)。応仁元年(1467)十月、赤松氏の家臣中村五郎左衛門尉が美作国回復を目指して同国院庄(津山市院庄)に入った際、山名勢は東郡の「妙見ノ城」などに籠り抵抗したとある(「応仁別記」)。あるいはこの城にあたるか。出雲国の尼子氏は、備前国周匝(赤磐市周匝)の城山を攻撃したのち「英田郡倉敷村ノ三星ノ城」を一日で、さらに「粟井村ノ赤松之城」を攻め落として出雲国に引き取ったと言い伝えるとする(「備前記」)。しかし城主の後藤勝基はまもなく尼子氏から離反、永禄三年とみられる五月朔日には江見久盛と三星山下の入田で合戦。江見左馬助は久盛と尼子晴久から合戦での鑓働きを賞されている(「美作国諸家感状記」)。三村家親が美作国に出勢、「浦上宗景家老」の守る三星城に対して向城を構えた際には、宇喜多直家は加番として馬場二郎四郎を籠め、永禄六年(1563)五月二十四日の山下での合戦で馬場二郎四郎は敵勢を附城へ逐い、また奥田与六は入田表の合戦での働きによりそれぞれ宗景から感状を与えられている(馬場家奉公書、「黄微古簡集」、「美作諸家感状記」など)。同九年正月十一日に斎藤親実は「三星表」で初陣した太田新九郎に所得を与え(「美作諸家感状記」)、対して江見久盛は同年正月十四日の妙見表での合戦で太刀打ちした難波長三朗を賞し、またこの年か三月五日に、江見久盛も「三星山下」での合戦での一番鑓により江見源次郎に感状を与えている(「美作諸家感状記」、「東作誌」)。
その後、元亀二年(1571)秋頃から浦上宗景と対立していた後藤勝基は翌三年に毛利氏へ属したため、宗景は三星城を包囲、三星城は三月に敵の攻撃を退け勝利したが、その後浦上勢の「武略」により三丸を奪われたため、毛利輝元は足立十郎衛門尉らを籠め、さらに救援の派兵を報じている(山田家古文書)。まもなく将軍足利義昭の仲裁で和睦に向かうが、十月の時点で未だ三星城には浦上・宇喜多氏によって陣を構えられたままであった(「閥閲録」)。天正五年十月、江見九郎次郎は山中幸盛を通じ、織田信長に「三星出頭事」を段取りすると申し出て本領安堵や恩賞地の約束を受けている(江見文書)。同六年正月には吉川元春が「三星之儀堅固」との報に接しているが、同年の上月合戦に出陣した「作州三星ノ城主、直家ニむこの後藤」は戦後、宇喜多直家の在陣する八幡山城(兵庫県上郡町)に呼び入れられ討たれたといい、三星城も翌七年二月からの宇喜多氏の攻撃により五月に落去、後藤勝基は長内(美作市長内)に逃れたものの自刃したとされる(「吉川家中並寺社文書」、「佐々部一斎留書」、「東作誌」など)。その後の当城の消息は不明となるが、慶長三年(1598)に明石掃部頭は宇喜多秀家から「山之内」九千六百十石を預け置かれ、掃部頭組の明石四郎兵衛尉も同年に「三星城領」として千石を加増されている(「宇喜多秀家士帳」)。
(※美作国の山城より)
北東麓曲輪群南五郭(米倉跡)
北東麓曲輪群北東五郭
北東麓曲輪群北東四郭
北東麓曲輪群東三郭東帯曲輪
北東麓曲輪群東四郭
北東麓曲輪群東三郭
登り土塁のある北東麓曲輪群東二郭
後藤勝基供養塔のある北東麓曲輪群主郭
北七郭東帯曲輪
北七郭
北七郭の西横堀
十二条連続する北西畝状竪堀群

北六郭
北六郭の西土塁
北五郭
北四郭
北三郭
北三郭の北西土塁
北二郭
主郭
主郭の北以外を囲む帯曲輪状の第二郭
東三郭
東四郭
東五郭
上がって東六郭
上がって東七郭
東七郭と東八郭間の櫓台
東八郭
東九郭
東十郭
東十一郭
東十二郭
東十三郭
東十三郭南帯曲輪
方向を変え、南東九郭
南東十郭
南東竪堀(北)
南東竪堀(南)
浅くなった南東堀切
南東十一郭
南東十二郭
南東十三郭
南東十四郭
方向を変え、西三郭
西四郭
西五郭
南に土塁のある西六郭
西七郭
西八郭
西九郭
西十郭
西十一郭
西十二郭
西峰最高所の西十三郭
西十四郭
南西十四郭
西竪堀
南西堀切からの西竪堀
南西堀切
南西堀切からの東竪堀
南西十五郭
南西十六郭
西南西堀切
西南西堀切からの南竪堀
西南西堀切からの北竪堀
西南西十七郭
西南西十八郭
方向を変え、南西十七郭
南西十八郭
土塁に囲まれた南西十九郭
南西二十郭
南西二十一郭
南西二十二郭

三星城遠望
軌跡ログ