正保書上五十四城の一で、「古城之覚」は吉野郡馬形村の「高山」、勝部村の「高山之城」として、後者には城主を粟井一族、粟井からの出城で、高さ一町余り、南・北・西は谷が深く、山続きは要害でよい水が多いとする。元禄十年(1697)とされる村々書上(『粟広村史』所収)には、勝部村の内に高山城あり、高畑城と共に「粟井の城主軍用之出城」で城番は年替りの者といい、今跡はなしとする。「美作鬢鏡」も勝部村と馬瀬村にそれぞれ高山城があるとするが、村名の改称による重複である。「東作誌」は城主を粟井一族あるいは須々木主計とし、本・二・三と三段からなり、二・三の丸は一町四方、本丸は四十間四方で土塁と堀跡あり、「須々木段」があると記す。天保国絵図に「古城跡」とある。
(※美作国の山城より)
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