亀山城 旧久米郡久米町 | 山城攻略日記

山城攻略日記

北海道から沖縄まで、日本全国の有名所の城を旅し…
現在は地元・鳥取を中心とした城巡りの日々(^-^)/

亀山城(津山市坪井下)

元禄二年(1689)の書上(『美作古城史』所収)には、「坪井下村町ノ後」の「古城主河本肥後殿」があり、浅山与市を「御城下屋敷」に呼び討ち取ったとある。「作陽誌」は、「河本堡」として、久米郡北分坪井下村にあり、山の高さ百丈余り、天文(1532~55)の頃、河本肥後守が居城し、かつて浅山与市が城を攻めたが敗死とし、また苫西郡の福岡山福泉寺(鏡野町河本)は肥後守の菩提道場とする。「美作鏡」は「河本城」とする。他に与市を岩屋城下住人、宇喜多直家の郷代官とし、城を「かまへの城」「構之城」とする記録もある。「甲元家譜」(『美作古城史』所収)は、天正七年(1579)三月に宇喜多直家によって落城、肥後守は神代村(津山市神代)で敗死したとする。『久米郡誌』は「河本城」、また山の姿が亀に似ていることから亀山城として、東西二町、南北一町、今は畑となり、城跡の側に稲荷の小祠ありとする。『日本城郭全集』は、頂上を本丸とし、二の丸、三の丸と三段で、本丸に小祠あり、三方は谷、一方の峰続きは深い堀切を遺すとする。『出雲街道』は、河本城は地元では城山と呼ばれ、南麓には「構屋敷」の地名を残す場所があるとする。
(※美作国の山城)
南東四郭
南西三郭
南二郭
主郭
西堀切
西堀切からの北竪堀
西二郭
西二郭の東土塁
東二郭
東二郭南東腰曲輪
東堀切
東堀切からの南竪堀
東三郭
東三郭の西土塁
東四郭

亀山城遠望
軌跡ログ