「古城之覚」は久米北郡公文村の「平福寺」として、城主を毛利左近尉とする。「作陽誌」は昔、毛利左近亮が村内に円宗寺城と「平福営」を構え、苫西郡の目崎城主と争い、左近は敗死し、今も耕作地に「仮屋畑・戦幕」などの地名ありと記す。「美作鬢鏡」は「平福寺城」とし、城主を「毛利左近太夫」、「美作鏡」は城主を「毛利左近」とする。『久米郡誌』は「平福城」として、高津神社境内に接した十数歩の場所で、山頂は平坦、周囲に城の形跡を残すとする。『日本城郭全集』は「平福城」とし、周囲に廃塀断礎の形跡が残り、背後を少し下った所に城の井戸があるとする。
(※美作国の山城より)
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図では土橋状の南三郭
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20190126/13/inaba-houki-castle/8f/46/j/o1080081014345329001.jpg?caw=800)