正保書上五十四城の一で、「古城之覚」は久米北郡油木村の「高山之(城)」として、城主を和泉守佐次の曾孫江原兵庫親次とする。「作陽誌」は「江原堡」として、油木村と山手公文村に跨り、山の高さ百九十間、周り千三百九十七間、江原兵庫助が構えると記す。「美作鬢鏡」は城主を「江原兵庫」とする。天保国絵図に「高山古城跡」とある。『久米郡誌』は「江原城」、高山城ともいうとして、頂上は東西十二間、南北二十間、今は愛宕の小祠が残るとする。『久米町史』は「高山城」として、油木上と北の境界線上、標高433.5mの高山山頂にあるとする。
(※美作国の山城より)
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北十郭
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