村岡陣屋 旧美方郡村岡町 | 山城攻略日記

山城攻略日記

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村岡陣屋(美方郡香美町村岡区村岡字尾白山)

村岡陣屋は、江戸時代に七美郡(小代区・村岡区・旧熊次村)を領した山名氏が拠点とした陣屋である。山名豊国は慶長六年(1601)、将軍の御伽衆として七美郡一円6700石を拝領した(山名豊国知行目録『池田家文書』)。山名氏の陣屋は当初菟束村(後、福岡村と改称)に置かれたが、豊国・豊政の二代はともに領地へは赴任せず、福岡陣屋に三上豊信以下数名の家臣を常駐させて領国の経営に当たらせた。寛永五年(1628)、家督を継いだ三代矩豊は交代寄合衆に列せられ、同十九年(1642)所領の中央部にあたる黒野村(後、村岡町と改称)に陣屋を移した。矩豊は尾白山山裾の平地に陣屋を置き、陣屋町を整備した。その後、陣屋は文化三年(1806)、尾白山(旧村岡高校体育館跡地)に移された。
矩豊の後、山名家は隆豊・豊就・豊暄・義徳・義方・義問・義済と続き明治維新を迎えている。義済の代の慶応四年(1868)、太政官から新田4300石の加増を認められ、合わせて11000石の大名となり村岡藩となった。しかし義済を継いだ義路の代の明治四年(1871)、廃藩置県となった。
陣屋は湯舟川右岸、村岡市街の北東に位置する尾白山の中腹、標高約250mの舌状台地に所在する。市街との比高は約35mを測る。
(※香美町の城郭集成より)
村岡陣屋説明文
模擬城門と城壁
西四郭
村岡陣屋説明文と案内図
西四郭北腰曲輪下段
西三郭
西四郭北腰曲輪上段
北腰曲輪上段の石垣
西二郭
最高所の主郭?(図では馬場)