長板城は矢田川右岸、長板集落北東の尾根先端、標高249mに所在し、中村城ともいう。集落との比高は約80m、城域は東西約130m・南北約190mを測る。
『七美郡誌稿』には古城山とみえ、長板城を柤岡城の支城としている。城主は弘治年中(1555~58)には長十郎左衛門、永禄年中(1558~70)には江田左近、元亀年中(1570~73)からは中村左京進忠恒と替わり、天正五年(1577)に没落したという。
弘治三年(1557)の「但馬国にしかた日記」には、柤岡村に中村左京丞殿・中村和泉殿が居住している。同日記には長板村の記載がないのではっきりしないが、柤岡城の支城という伝承を勘案すれば、この時、中村左京が城主であったのかも知れない。
尚、文明十九年(1487)、中村左京進重永は日光院に下地(田地)一反を寄進しているが、平忠恒とは一族であろうか。
(※香美町の城郭集成より)
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20171224/11/inaba-houki-castle/d1/c8/j/o0960082114097100879.jpg?caw=800)
帯曲輪状の東二郭(曲輪4)
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20171224/11/inaba-houki-castle/c3/48/j/o0960072014097100889.jpg?caw=800)