標高150m・比高30mの野上城(伯耆町三部)
古くは野上安左衛門尉高続の居城、戦国期には野上長龍が在城したといわれる。昔、外構の地に進氏開基の大同寺というのがあったが、進氏没落後衰退していた。これを惜しんで城主野上長龍が三部地内中谷に移し再興、寺名も我が名をとって野上山長龍寺としたと伝えられる。山上には深い井戸跡が残る。径2m、深さの程は分からない土や木の葉で埋まった所までが現在20mはある。中腹には麓への抜け穴の入口もある。山裾の山奉行所跡に薮になった茶の木に覆われて井戸のような石囲いの穴があり、これが出口という。昭和の始め頃、元気の良い子供がいて上からくぐり抜けた話がある。今では埋もれているが、その頃はまだ穴が通じ抜けられたと思われる。城跡の出そねは、三方が急斜面、北西の尾根続きは人工で尾根を鋭く切り取った要害の地である。
(※文化財ガイドブックふるさと溝口より)
三部の野上城、字古城山にあり、東に面する一孤山。野上安左衛門高続の居城なりという。
(※溝口町誌より)
三部神社の建つ南九郭
三部神社の背後から北へ伸びる空堀は、途中で東へ折れ曲がる
空堀の東の南東八郭
南東八郭の北と西には土塁
そして井戸跡も
空堀の西の南西八郭
空堀に面した東には土塁
西十郭~西九郭
南西七郭~南六郭~南四郭
南四郭と南五郭の間の土塁
やや離れた場所にあり、帯曲輪状の東三郭
東二郭
ここには深い井戸跡が
主郭
主郭の北土塁
そして北斜面には竪堀
主郭の西土塁
土塁の向こうは、尾根を堀切によって断ち切っていた
野上城遠望
軌跡ログ
旧日野郡溝口町の城