2023年7月26(水)
 

 

2023年7月25日の記事

「陸前高田市までドライブ 震災遺構巡り その1」の続きです。

 

陸前高田市が震災遺構として整備している所を巡ってみました。まずは”タピック45”です。ここは国道45号線沿いの道の駅高田松原だった所です。奥に写っている平たい建物が現在の道の駅です。

 

 

津波はこの高さまで来たらしい。隣にあった物産館だった建物の、グニャグニャになった鉄骨も保存されています。道の駅高田松原は、岩手県内で2番目に開設された道の駅で、平成6年頃のオープンだと思います。

 

タピック45の裏側に回ってみました。斜面になっているのは津波のエネルギーを逃がすためとの事。だから被害に遭うも原型は留める事ができたのだろうか?階段状になっているのはイベント時の観客席だったそうです。

 

奇跡の一本松の傍にあったユースホステルです。目の前で目の当たりにすると、津波の恐ろしさが想像できます。

 

震災の年の秋にここを訪れた時、”奇跡の一本松”は”ど根性松の木”という名前で、現在の様なレプリカではなく本物の生木でした。

 

ユースホステルもまだ今の様に見学場所として整備されておらず被災した時のままで、訪れた人は中にも入って見ていました。地震が起きた時刻で止まったままの壁かけ時計がありました。

 

奇跡の一本松を見学するには、道の駅の駐車場から徒歩10~15分です。

 

奇跡の一本松の気仙川を挟んで向かい側に建つ、旧気仙中学校です。ここはガイドさんと同伴の場合は中まで入って見学できる様です。屋上に何か付いていますが・・・・、

 

屋上まで津波に飲み込まれた様です。

 

左端が気仙中学校で、気仙川を挟んだ対岸に奇跡の一本松とユースホステルが小さく写っています。と言う事は、震災前なら7万本の松林を見渡せる環境だったのでしょうね。

 

米沢商会のビルです。ここは社長が私費で震災遺構として残しているのだそうです。一段低い位置に建っていますが、これは周りを全てかさ上げし、ここだけかさ上げしていないからだそうです。左奥にタピック45、右奥に道の駅高田松原が見えますね。

 

これらの看板も社長の私費で設置したのでしょう。ここも屋上まで飲み込まれたんですね。

 

僕は震災前に陸前高田市を訪れた事がありません。だからどんな街並みだったか、高田松原がどんなに美しい風景だったか知りません。”陸前高田グローバルキャンパス”という所で震災前の街並みを復元したジオラマが見れる様なので、次回来た時に訪れてみようと思います。

明日に続きます。

Photos by CANON EOS80D

撮影日 2023年7月22日