10.一括承認の是非

 

現行の国民投票法では、全ての改正条項を、一括して賛否を問うことなっています。

 

なぜ、改正条項単位で賛否を問わないのか、その理由の一つとして、集計の煩雑さが挙げられます。

それは、理解できますが、それなら、改正を絞り込んで、本当に必要な条項だけを改正すれば良い話です。

 

 

改憲派の中には、「自主憲法の制定を目指す」と主張する人も少なくありません。

改正案の公募もなく、大量の改正項目を一括で『承認』させられる国民にとって、国民投票の何が「自主」なのでしょうか。

 

一括承認は、量的に内容を吟味しにくくし、政府案へのメクラ判を求めるようなもので、褒められる承認方法ではありません。

 

 

 

 

このように考えると、一括承認を求める目的は、煩雑さ以外の理由がありそうです。

 

改正案の中には、賛成を得やすい条項もあれば、反対が増えそうな条項もあります。

反対が増える条項は、広く国民が求めているわけではないことを意味します。

広く国民が求めていないのに、改正案に盛り込む理由は、何でしょうか。

一言で言えば、政権の都合です。

 

 

政権の都合には、色々な理由が想像できますが、国民に対して具体的に説明して、改正案に賛同を得る努力をすべきです。

 

憲法は、国民投票するのです。

憲法改正の国民投票は、直接民主制です。

政治家の都合で決める法律ではないのです。

国民一人一人を含む国全体の方向を決める法律なので、国民投票も求められているのです。

 

内容を伏せた状態で承認を求めるのは、憲法を蔑ろにする考えともいえます。

同時に、国民一人一人も、投票権を持たない未成年や未来の国民のことも考えて、投票行動を決めなければなりません

だからこそ、国民投票するのですから、キチンとした説明が必要であり、国民一人一人が検証できるようにするべきです。

そのためには、改正する条文毎に、何が問題で、どう修正するのか、説明があるべきです。

 

 

キチンとした説明をすれば、国民は、「こちらの条文には賛成だが、あちらの条文には反対だ」というのが出てくるはずです。

だから、条文単位の承認を求めるのが、理想形なのです。

 

どうしても、一括で承認を求めなければならないのであれば、「『承認』すれば、不満な項目も『承認』したことになります。承認できない項目があるなら、『否認』してください」と、丁寧に説明すべきです。

本当に国民のために憲法を改正すると言うのなら、このくらいのことは言えるはずです。

 

逆に、「『否認』すると、環境を守るのは難しくなる」といった脅しを掛けるなら、国民のための改正ではないと、わかります。

 

 

 

さて、現行の国民投票法では、賛否は一括で問うことになっています。

となると、メクラ判を押すか、キチンと判断して『反対』に丸を付けるかの二択に見えますね。

 

(※表現の中に不適切な用語が含まれていますが、慣用句としてそのまま使用しました)

 

 

 

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