憲法改正で協力関係にある自国維公

読み替えると、「じごくいこう(地獄行こう)」

 

この中で、憲法改正にそれほど積極的ではない公明党を、引き剥がすことができれば、良いのですが・・・

 

 

憲法には、為政者の暴走を防ぐ役目があります。

今回の改憲案は、為政者の権限を拡大する内容が主となっています。

憲法9条の「戦争放棄」を削除すれば、為政者は国民の命を使って戦争ができるようになります。

これは、為政者の制限を緩め、代わりに国民の命の価値を下げることを意味し、憲法の本来の役割を下げることになります。

 

為政者は、外交で国民の生命と財産を守らなければなりません。

ですが、「戦争放棄」を削除すれば、武力行使の選択肢が生まれ、将来的に外交への注力が低下する危険性があります。

つまり、為政者は、自分の政治生命より、国民のナマの命を使うようになるのです。

 

「自国維公」の支持は、国民にとって地獄行きの移送列車に自ら乗ることを意味すると、理解しなければなりません。

走行中の移送列車から飛び降りることは、困難です。

でも、多くの人が、地獄行きの移送列車に乗りたがっています。

 

さぁ、みんなで地獄行こうか。

 

 



日本維新の会の国会議員が、「車の安全な運転の仕方を知ることは大事だが、車の構造は知らなくていい」と言っています。

 

車を安全に運転するためには、最低でも基本的な構造を理解しておくべきです。

車の構造を全く知らない人がどんなに頑張っても、車の構造に精通した人の安全運転の方が、より安全であることは間違いありません。

車の構造を知らないなら、安全に運転するために、すべきこと、してはならないことを、盲目的に実行するしかありません。それも、完璧にこなせなければなりません。

そんな人が、本当に安全に運転できるのでしょうか。

そもそも、安全に運転できているか、自己判定できません。

「言われた通りにしているから、安全だ」としか、言えないのです。

人の命が掛かるクルマの運転において、こんなレベルが良いのでしょうか。

 

 

この国会議員は、「高校は、三角関数より、金融経済の基本や複式簿記、ITリテラシーや臨床医学・栄養学をカリキュラムに組み込むべき」と言って、批判を受けていました。

その反論として、車の安全を運転を例にし、「三角関数が多くの技術に応用されているのはわかるが、必ずしも知っている必要はない」と繋いでいます。

 

この方の頭の中には、高校で三角関数を教えなくなれば、三角関数を利用している多くの技術が失われるとの想像力はないのでしょうか。

それとも、「三角関数は、理系大学で学べばいい」くらいの発想でしょうか。

高校レベル(この方は文系なので、おそらく数2レベル)を大学でやってるようでは、大学レベルの数学をやる時間が無くなります。

この方にとって、数学の深淵は、精々三角関数までなのでしょう。

 

 

 

今から、文系の方が立腹するようなことを言います。

 

この世の中から、文系の人が全員いなくなってしまった場合と、理系の人が全員いなくなった場合では、どちらが社会が回るでしょうか。

 

この世の中から理系がいなくなると、全ての機械が使えなくなります。

つまり、電気が止まり、水道が止まり、ガスが止まり、電話が通じなくなり、鉄道が止まり、ネットも止まります。

最初は動いていても、故障すればアウトです。

電気は、需要に合わせて発電しなければならないので、数時間で不調をきたすでしょう。

理系がいなくなると、その日の内に、真っ当な社会生活は送れなくなります。

 

では、文系がいなくなったら、どうでしょうか。

文系がやっていることは、大概は、理系でもできます。

理系の武器は、論理的な思考です。

問題が発生しても、論理的に解決していきます。知識が不足していても、論理的に解を求めるので、致命的な間違いは少ないはずです。

 

文系は、理系を代替することは容易ではありませんが、理系は、文系を代替することが可能なのですが。

 

では、なぜ文系が理系を代替することが難しいのでしょうか。

理系に比べて文系が最も劣るのは、数学や物理への理解でしょう。

「数学は、解が一つしかない」なんて言うようでは、理系を代替できません。

小学校の算数でも、足し算の答えは無限にあります。

1+1の答は一つです。(複数の解があったり、代数的に解を求められないことも・・)

ですが、足し算の問題は、無限に作れます。

だから、全ての足し算の答を丸暗記することは、不可能です。

ならば、なぜ足し算の答を求めることができるのでしょう。

それは、足し算の概念を理解しているからです。

 

理系がいなくなった時、文系が付け焼き刃的に数学を学ぼうとしても、本を読んだだけで理解することは困難です。

それは、概念を理解しなければならないからです。

大事なのは、「理解」です。

理解して、初めて応用できるのです。

ですが、理系の教師がいない状況で、高等数学を理解して使えるようになるのは、絶望的でしょう。

 

 

数学は、非常に大切な学問です。

また、論理的な思考の訓練の場でもあります。

なので、三角関数に限らず、数学を学ぶことは、価値のあることなのです。
逆に、「数学教育は不要」と考えるのは、論理的な思考ができていない証拠とも言えそうです。



この方だけでなく、日本の政治家は、論理的な思考を苦手とするようです。

 

一昨年二月、安倍晋三氏は、新型コロナ対策として、学校の一斉休校を指示しました。

これを、急坂を下る車に例えてみましょう。


急坂を下る車は、(感染速度が)どんどん早くなっていきます。

これを減速するために、ブレーキ(社会活動の制約)を使うのが効果的ですが、ブレーキローターが過熱(経済活動が停滞)するので使いたくないと考えたのです。

何か、他に対策はないかと考え、ブレーキペダルの隣にあるクラッチペダル(一斉休校)を使うことにしたのです。エンジンから駆動系への動力伝達を切り離すことができるから、(感染速度が)減速するだろうと考えたのです。

ところが、学校での感染はほとんどなく、効果はありませんでした。逆に、エンジンブレーキ(子供が自宅待機になって家族の手が必要になる)が効かなくなり、大混乱を引き起こしました。

この経験で、理屈抜きで「クラッチは踏んではいけない」とだけ覚えたのです。

今年2月、エンジンが暴走(学校でクラスターが頻発)して、(感染が)加速する事態になった時も、クラッチを切ろう(全校休校)としませんでした。

この時なら、全校休校措置は、おそらく効果を発揮したはずです。また、全校休校措置にすればなにが起きるのか経験済みなので、事前に対策(エッセンシャルワーカーの子弟のみ学校で預かる等)できたはずです。

ですが、論理的な思考ができず、効果を期待できない時に思い付きで強行し、その反動で、効果を期待できる時には実行できなかったのです。

 

 

 

論理的な思考ができない人物が政治に関わることを減らすには、数学のような論理的な思考を訓練できる学問は、どんどん取り入れていくべきです。

 

文系分野でも、論理的な思考は大切です。

私の友人は文系ですが、論理的な思考は、キチンとできます。

他にも、論理的な思考ができる文系の人を知っています。

こういった方々は、冗談はともかく、「三角関数は高校教育で不要」と言うどころか、「もっと数学ができれば」と言います。

このような方々は、数学自体は苦手でも、論理的な思考を身につけている点で、数学教育の目的は達成していると言えます。

 

 

 

それにしても、問題は深刻です。

 

思い付きで全校休校を実施した自民党や、三角関数不要論を主張する日本維新の会が、憲法改正を訴えています。

どちらも、論理的な思考が苦手な議員が多いようです。となると、憲法改正の主張も、論理的な思考が働いているとは思えません。

だから、「軍事増強、特に攻撃兵器の配備で侵略を防げる」との短絡的、かつ一方的な主張になるのでしょう。

 

日本は、数学教育で失敗したのかもしれません。

そして、破滅への道を歩み始めたのかも、しれませんね。

 

そう思わせる「三角関数不要論」です。

 

 



「侵略されたらどうするんだ!」

 

最近、憲法9条についての議論になると、改憲派がよく口にするのが、「侵略されたらどうするのか?」との一言です。

ですが、これを口にした時点で、憲法9条の改正は、議論の外に追いやられることに気付いていないようです。

 

「侵略を防ぐ」手段として、いくつか考えられます。

外交、経済支援、民間交流等々、様々な手段が考えられます。

軍事力は、上記の全てが上手くいかなかった場合の最終手段です。

その最終手段も、専守防衛の範囲なら、現在の憲法解釈では合憲です。

専守防衛を超える軍事力を持つ必要性が出た際に、初めて憲法9条が問題になるのです。

と言うことは、まず、侵略を防ぐために何をすべきなのか議論をしなければなりません。

その中で、軍事力についての議論し、専守防衛ではダメなのかが議論されるべきです。

この2段階が終わり、専守防衛がダメなら、どこまで攻撃的な軍事力を整備すべきかが議論され、初めて憲法9条の改正内容の議論になるのです。

「侵略されたら・・」との問いかけは大切ですが、それと憲法9条の改正に繋げるのは、暴論であり、「初めに改憲ありき」がクッキリと現れています。

 

 

 

「侵略されないために、どうするのか?」との問い掛けは、「○○をした際に」との前提があった方が、議論しやすいでしょう。

 

よくあるのが、「安全保障には、外交が最も有効」との意見に対して、「外交に失敗したら」と反発し、「侵略されたらどうするのか?」と続きます。

ここでは、「外交が失敗した際」が前提になります。

 

 

では、この前提を「軍備増強した際」としたら、どうでしょうか。

おそらく、「軍備を増強しているのに、侵略されるはずがない」と返してくるでしょう。

でも、何を根拠に、「侵略されない」と思うのでしょうか。

 

「日本の軍備を見て、勝てないことを悟る。少なくとも損害が大きくなって、侵略しても損をすることを理解する」との根拠を持ち出しそうです。

でも、お花畑と言うか、平和ボケと言うか、考えが浅いです。

 

まず、日本の防衛費(軍事予算)は、世界で9位です。これほど大きな防衛力を持っているのに、まだ足りないのですか?

どの程度なら、足りるのですか?

その額の根拠は、何ですか?

これの回答は、おそらく「中国より少ないから危険」でしょう。

ならば、中国と同額なら、問題ないのでしょうか。

本気で中国と戦うなら、同等の戦力では、全く不足します。

中国が日本全土を焼け野原にできても、日本は中国の国土の4%余しか破壊できません。

中国が日本人を皆殺しにできても、日本は中国人の9%しか殺せません。

同等の戦力では、勝ち目がないのです。

 

ならば、中国を遥かに超える軍事力を持てば良いのでしょうか。

それは、現実には不可能でしょう。

軍事力のベースになる国力(GDP)は、中国は日本の4倍近いのです。

更には、日本の財政運営は、既に累積国債残高の4割以上を中央銀行(日本銀行)が買い支えている戦時体制(第二次世界大戦中の財政運営に類似)にあります。

これ以上は、財政破綻で自滅する危機的状況です。到底、軍備拡大はできません。

 

それに、日本が軍備を増強すれば、侵略を諦めるのでしょうか。

日本で、軍備増強を求める声が高まった要因の一つが、中国や北朝鮮の軍備増強でした。

日本は、これらの国の軍備増強で、怯えたり、従順になったりしていません。それどころか、憲法を改正してでも、先制攻撃できるようになろうとしています。

先制攻撃は、受ける側から見れば、侵略に等しい軍事行動です。

つまり、軍備を増強すれば、侵略を受けにくくなるのではなく、逆効果になるのです。

また、強力な相手に対しては、先制攻撃しか勝ち目が薄くなるため、小さな事柄でも、先制攻撃を決断することになります。偶発的に戦争が起こりやすくなるのです。

更には、日本が軍備を増強すれば、国力で勝る中国は、更なる軍備増強を行うでしょう。

こうなると、国力が強い方が単純に勝つことになります。日本に勝ち目はありません。

 

「軍事力で国を守れる」と考えるのは、平和ボケが酷いのか、頭が悪いのか。

 

 

軍事力で国を守れるとは限らないとなると、「軍備を増強した際に侵略を受けたら、どうするのか?」との問い掛けには、どう答えるのか、聞きたいところです。

おそらく「戦うまでだ」と答えるのでしょう。

でも、それを言うなら、他の全ての前提でも、答えは同じです。

「全然、違う。軍事力が大きいので、有利に戦える」と言いたいでしょうが、そんな単純なものではありません。

相手が、無計画に侵攻してきたなら、事前の軍備の大小が、その後の戦闘に影響するでしょう。

でも、練られた計画なら、最初の攻撃で主要な兵器は潰されます。特に、敵国を攻撃するための兵器は、狙われやすくなります。

憲法を改正する目的は、敵国を攻撃する兵器を装備するためですから、憲法を改正して増備した兵器ほど、最初の攻撃で失われやすいのです。

これでは、憲法を改正しても、あまり意味がなさそうです。

 

大切なのは、戦わないで済むようにすることです。

戦えば、勝ったとしても大きな損害が出ます。負ければ、最悪です。

しかも、両政府ともに「戦闘をやめる」と言うまで、戦闘は続くのです。「効果があったから一方的にやめる」なんてことは、不可能に近いのです。一旦、戦闘が始まれば、簡単には終わらないのです。

そして、その間は、死者が出続け、損害も増えていくのです。

だから、戦わないようにすることが、極めて大切なのです。

「戦うまでだ」なんて、アニメの主人公みたいなセリフを言うようでは、ダメなのです。

 

軍備は、安全保障では重要ではありません。

大切なのは、外交であり、経済協力であり、民間交流なのです。

軍事力は、人を殺し、物を壊し、信頼関係を打ち砕き、末代までも怨みを残します。

 

そんなやり方ではなく、人と人の信頼関係で、戦争を防ぐべきです。

為政者の1人が暴走しても、その国民が、「日本を攻撃するのはおかしい」と声を上げるような、人と人との信頼関係を築いていくべきです。

同時に、外交において相互に意思の疎通を図り、偶発的な戦闘を防いでいくべきです。

 

外交は、政治家だけの仕事です。

外交の失敗で戦争状態に陥ったなら、外交を担当した政権は、恥じなければなりません。

そう考えると、外交が失敗した後の最終手段ばかりを重視する現政権は、相当に酷い政治家の集団と言えます。

 

 

最後に一言。

現在、自衛隊は欠員状態で運用しています。

仮に、軍備を拡大しても、欠員状態が悪化し、稼働しない装備が増えると思われます。

 

軍備以外の安全保障を軽視し、運用できない可能性がある軍備を増やし、相手国の反応を推測することもせず、「憲法を改正してでも軍備を拡大すべきだ」と叫ぶのは、「私は安全保障の何たるかを理解していません」と宣言するようなものだと、わかってほしいものです。