「侵略されたらどうするんだ!」
最近、憲法9条についての議論になると、改憲派がよく口にするのが、「侵略されたらどうするのか?」との一言です。
ですが、これを口にした時点で、憲法9条の改正は、議論の外に追いやられることに気付いていないようです。
「侵略を防ぐ」手段として、いくつか考えられます。
外交、経済支援、民間交流等々、様々な手段が考えられます。
軍事力は、上記の全てが上手くいかなかった場合の最終手段です。
その最終手段も、専守防衛の範囲なら、現在の憲法解釈では合憲です。
専守防衛を超える軍事力を持つ必要性が出た際に、初めて憲法9条が問題になるのです。
と言うことは、まず、侵略を防ぐために何をすべきなのか議論をしなければなりません。
その中で、軍事力についての議論し、専守防衛ではダメなのかが議論されるべきです。
この2段階が終わり、専守防衛がダメなら、どこまで攻撃的な軍事力を整備すべきかが議論され、初めて憲法9条の改正内容の議論になるのです。
「侵略されたら・・」との問いかけは大切ですが、それと憲法9条の改正に繋げるのは、暴論であり、「初めに改憲ありき」がクッキリと現れています。
「侵略されないために、どうするのか?」との問い掛けは、「○○をした際に」との前提があった方が、議論しやすいでしょう。
よくあるのが、「安全保障には、外交が最も有効」との意見に対して、「外交に失敗したら」と反発し、「侵略されたらどうするのか?」と続きます。
ここでは、「外交が失敗した際」が前提になります。
では、この前提を「軍備増強した際」としたら、どうでしょうか。
おそらく、「軍備を増強しているのに、侵略されるはずがない」と返してくるでしょう。
でも、何を根拠に、「侵略されない」と思うのでしょうか。
「日本の軍備を見て、勝てないことを悟る。少なくとも損害が大きくなって、侵略しても損をすることを理解する」との根拠を持ち出しそうです。
でも、お花畑と言うか、平和ボケと言うか、考えが浅いです。
まず、日本の防衛費(軍事予算)は、世界で9位です。これほど大きな防衛力を持っているのに、まだ足りないのですか?
どの程度なら、足りるのですか?
その額の根拠は、何ですか?
これの回答は、おそらく「中国より少ないから危険」でしょう。
ならば、中国と同額なら、問題ないのでしょうか。
本気で中国と戦うなら、同等の戦力では、全く不足します。
中国が日本全土を焼け野原にできても、日本は中国の国土の4%余しか破壊できません。
中国が日本人を皆殺しにできても、日本は中国人の9%しか殺せません。
同等の戦力では、勝ち目がないのです。
ならば、中国を遥かに超える軍事力を持てば良いのでしょうか。
それは、現実には不可能でしょう。
軍事力のベースになる国力(GDP)は、中国は日本の4倍近いのです。
更には、日本の財政運営は、既に累積国債残高の4割以上を中央銀行(日本銀行)が買い支えている戦時体制(第二次世界大戦中の財政運営に類似)にあります。
これ以上は、財政破綻で自滅する危機的状況です。到底、軍備拡大はできません。
それに、日本が軍備を増強すれば、侵略を諦めるのでしょうか。
日本で、軍備増強を求める声が高まった要因の一つが、中国や北朝鮮の軍備増強でした。
日本は、これらの国の軍備増強で、怯えたり、従順になったりしていません。それどころか、憲法を改正してでも、先制攻撃できるようになろうとしています。
先制攻撃は、受ける側から見れば、侵略に等しい軍事行動です。
つまり、軍備を増強すれば、侵略を受けにくくなるのではなく、逆効果になるのです。
また、強力な相手に対しては、先制攻撃しか勝ち目が薄くなるため、小さな事柄でも、先制攻撃を決断することになります。偶発的に戦争が起こりやすくなるのです。
更には、日本が軍備を増強すれば、国力で勝る中国は、更なる軍備増強を行うでしょう。
こうなると、国力が強い方が単純に勝つことになります。日本に勝ち目はありません。
「軍事力で国を守れる」と考えるのは、平和ボケが酷いのか、頭が悪いのか。
軍事力で国を守れるとは限らないとなると、「軍備を増強した際に侵略を受けたら、どうするのか?」との問い掛けには、どう答えるのか、聞きたいところです。
おそらく「戦うまでだ」と答えるのでしょう。
でも、それを言うなら、他の全ての前提でも、答えは同じです。
「全然、違う。軍事力が大きいので、有利に戦える」と言いたいでしょうが、そんな単純なものではありません。
相手が、無計画に侵攻してきたなら、事前の軍備の大小が、その後の戦闘に影響するでしょう。
でも、練られた計画なら、最初の攻撃で主要な兵器は潰されます。特に、敵国を攻撃するための兵器は、狙われやすくなります。
憲法を改正する目的は、敵国を攻撃する兵器を装備するためですから、憲法を改正して増備した兵器ほど、最初の攻撃で失われやすいのです。
これでは、憲法を改正しても、あまり意味がなさそうです。
大切なのは、戦わないで済むようにすることです。
戦えば、勝ったとしても大きな損害が出ます。負ければ、最悪です。
しかも、両政府ともに「戦闘をやめる」と言うまで、戦闘は続くのです。「効果があったから一方的にやめる」なんてことは、不可能に近いのです。一旦、戦闘が始まれば、簡単には終わらないのです。
そして、その間は、死者が出続け、損害も増えていくのです。
だから、戦わないようにすることが、極めて大切なのです。
「戦うまでだ」なんて、アニメの主人公みたいなセリフを言うようでは、ダメなのです。
軍備は、安全保障では重要ではありません。
大切なのは、外交であり、経済協力であり、民間交流なのです。
軍事力は、人を殺し、物を壊し、信頼関係を打ち砕き、末代までも怨みを残します。
そんなやり方ではなく、人と人の信頼関係で、戦争を防ぐべきです。
為政者の1人が暴走しても、その国民が、「日本を攻撃するのはおかしい」と声を上げるような、人と人との信頼関係を築いていくべきです。
同時に、外交において相互に意思の疎通を図り、偶発的な戦闘を防いでいくべきです。
外交は、政治家だけの仕事です。
外交の失敗で戦争状態に陥ったなら、外交を担当した政権は、恥じなければなりません。
そう考えると、外交が失敗した後の最終手段ばかりを重視する現政権は、相当に酷い政治家の集団と言えます。
最後に一言。
現在、自衛隊は欠員状態で運用しています。
仮に、軍備を拡大しても、欠員状態が悪化し、稼働しない装備が増えると思われます。
軍備以外の安全保障を軽視し、運用できない可能性がある軍備を増やし、相手国の反応を推測することもせず、「憲法を改正してでも軍備を拡大すべきだ」と叫ぶのは、「私は安全保障の何たるかを理解していません」と宣言するようなものだと、わかってほしいものです。