今日、話題にする辺野古沖の転覆事故は、2026年3月16日に発生しました。
情報が揃えば書くつもりでしたが、中々情報が揃いません。
理科離れが激しい報道機関は、いつも以上に、私が欲しい情報を流してくれません。
なので、気になった点だけをピックアップすることにします。
当初から、私が気になっていたのは、航路でした。
辺野古沖に出るまでは、リーフの内側を航行していたのに、辺野古沖から港へ戻る際には、リーフの外側を航行していたことです。
何らかの取り決めがあって、南行はリーフの外側を通るルールだったのか、今も確認できていません。
ただ、「巡視船から逃げるため、高速で航行していた」との話も聞こえてきました。
おそらく偽情報とは思いますが、なぜリーフの外側を航行したのか、疑問は残ります。
リーフの縁では、外洋の深海波から浅海波に変わります。
この時、海底の影響で波速が遅くなり、その分だけ波高が高くなります。
なので、リーフの縁を航行するのは危険です。
ましてや、波浪注意報が出ていたので、小型船でリーフの外に出るのは非常に危険です。
リーフの外に出た理由が、私は気になっています。
(メディアは『浅海波』を知らないから、リーフの外に出た理由は取材しないでしょう)
さて、ネットニュースのコメントを見ていると、事故を起こした船の船長が共産党員だったことを指摘しているものが、複数ありました。
まるで、共産党員でなければ事故は起きなかったかのような、無茶苦茶さです。
所属政党がどこかなんか、どうでも良いことです。
事故原因は、別のところにあるし、再発防止こそ重要であり、背景の調査から対策の策定まで、論理的に繋げなければなりません。
私は、辺野古への移転に賛成の考えを持ってきました。
普天間基地の変換によるメリットと、辺野古埋立を含む移転によるデメリットを天秤に掛けたなら、メリットが上回ると考えたからです。
ところが、2026年2月になって、辺野古埋立に造られるV字の滑走路では滑走路長が不足するので、普天間返還は返還できないと、アメリカ側が言い出したのです。
ですが、2006年5月に、日米でV字滑走路案で合意しています。
アメリカ国内では、2017年頃から滑走路長の不足が指摘されていたようですが、どちらにせよ、今更感があります。
こんな状況を鑑み、普天間返還の問題が解決するまで、辺野古への移転には反対します。
元々、辺野古への移転は、普天間基地の返還を目的としていたので、それが達成できないなら、建設する意味なんか、何処にもありません。
なので、当面は、辺野古移転に反対します。
あくまで、日米両国から、辺野古移転と同時に普天間基地が変換されることが確認されるまでの条件付きです。
個人的には、反対運動を否定しませんが、学校側のスタンスには疑問を感じます。
教育で沖縄の基地問題を学ばせるなら、多角的に見せるべきです。
そのためには、沖縄返還前の本土の米軍基地返還から見ていく必要があります。
第二次世界大戦での国内唯一の陸上戦、沖縄に基地が集中した歴史、それを軽減するための努力、賛否両論を知り、子供達が自分で判断する方法と必要な情報を学ばせるのです。
辺野古沖の埋立は、普天間基地の返還のための代替基地建設によるものです。
普天間基地の返還があり、辺野古移転があり、その先に滑走路建設があり、その先に埋立があるのです。
埋立を見ても、全体像は見えてきません。
全体像が見えないのに、公共交通機関ではない船を用意してまで見に行く目的は、何だったのでしょうか。
何を見せ、何を感じ、何を考えさせたかったのでしょうか。
教育としては、明らかに片手落ちですし、広い視野を持てなくなるかもしれません。
私学ですから、校長や理事の個人的な考えが、教育に影響しやすいのかもしれません。
今回の事故の背景に、そうした学校経営陣の個人的な考えがあるなら、残念でなりません。
この事故で亡くなられた方の御冥福を、お祈りします。
また、負傷された方の1日も早い回復を、願っています。