5.総論

 

オスプレイの欠陥の有無に纏わる議論を全体としてみると、技術論が薄い印象です。

 

特に、欠陥否定派の方が、技術的な指摘が少ない印象です。

これは、欠陥否定派の方が、技術がわかっていないのではなく、欠陥肯定派の方が、ネタを探しやすいだけなのです。そして、オスプレイ固有の装置を、「欠陥だ」と言えば良いのです。

理由は、簡単にこじつけられるものです。

 

欠陥否定派は、悪魔の証明を強いられることになります。

だから、技術的な証明も、難しいのです。

 

 

そもそも、どの程度まで理解してオスプレイを理解して、「安全だ」とか、「危険だ」とか言っているのでしょうか。

私の実力では、オスプレイが欠陥機なのか、判断がつかないので、「安全だ」「危険だ」と言う方は、私以上の実力があるのでしょう。

私が書いたローターの回転方向も、「そんなの当たり前だろ!」と言えるのでしょう。

 

でも、それほどの実力があるのなら、オスプレイの改良方法も、丁寧に説明できそうです。

もし、改良の手段がないなら、なぜ改良できないのか、具体的に根拠を示せるはずです。

そのレベルの指摘があるなら、是非、見てみたいところです。

 

 

 

 

欠陥肯定派も、欠陥否定派も、技術の理解度には差はなく、かつ深くもないようです。

同時に、技術面で議論する気は、どちらにもないようです。

 

私の感覚なら、欠陥機なら、欠陥を明確にし、そこに対策を講じることを考えます。

「欠陥機だから、飛ばすな!」は、あまりに乱暴な意見ですし、進歩もなくなります。

 

 

 

 

 

オスプレイを、人間に例えてみましょう。

 

人間、誰しも欠陥(欠点)を持っています。

だっからと言って、「仕事をするな」とは言いませんよね。

人を傷付けるようなヤンチャでも、その人物を全否定しませんよね。

実際、更生して真面目に仕事をしている人は、いくらでもいます。

有名人の中にも、大勢います。

 

大切なのは、欠陥を認めて、それを修正し、元々持っていた長所を伸ばすことです。

オスプレイに欠陥があるのなら、そこに手を入れ、元々持っている高速・長距離移動能力を引き出すことが、やるべき事柄だと思います。

 

 

 

ダブルスタンダードの項で書いたように、結論ありきの議論は、意味がありません。

ですが、結論ありきの議論は、与野党ともに多いように思います。

 

与党では、改憲ありきで話を進めようとします。

だから、自民党案に対して「対案を出せ!」と言います。

改憲ありきで進めようとするから、「対案を出せ」と言い出すのです。

安全保障が問題なら、具体的にどんな問題があるのか、それぞれにどんな対策があるのか、議論していくことが大切です。

安全保障では、経済や民間交流、外交、武力等を適切に動かしていく必要があります。

相手国の国内世論は、最も強い抑止力になります。

相手国の国民に危機感を持たせれば、危険を排除する手段として武力行使を求めるようになります。だから、武力増強は抑止力を弱め、危機を増長するとしているのです。

特に、国力で日本に勝るような大国を相手にする場合には、武力は意味を持ちません。

武力に頼れば、ガザのハマスや、ウクライナのようになるだけです。

 

ところが、何も考えずに武力に傾倒してしまい、挙句に、憲法改正が目的化してしまっているのです。

「オスプレイは欠陥機」も、「憲法改正は必要」も、ある意味、似ているように思います。

 

だからでしょうか。

冒頭で書いたように、「事故率が高いから欠陥機」、「事故率が低いから欠陥機ではない」といったように、相反する主張が、同じデータを根拠にしてしまうのでしょう。

本当に、浅い議論です。

 

 

 

 

 

実は、「オスプレイが欠陥機なら何なの?」と言われたら、お終いなのです。

 

欠陥が明確なら、それを対策しない手はあり得ません。

ですが、「オスプレイは欠陥機だ」と言う目的は、オスプレイ配備への反対ですから、なぜ配備に反対するのかを論理的に説明しなければなりません。

「オスプレイが危険だから配備に反対」なら、危険である具体的な根拠と、その対策を検討し、対策不可能であることを証明するべきです。

 

 

 

私の中では、「オスプレイは欠陥機」とは何を言いたいのか、さっぱりわからないとの結論に至りました。

 

 

 

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